私たちの生存戦略

第二回 家族ごっこ

日本アニメ界の鬼才・幾原邦彦。代表作『輪るピングドラム』10周年記念プロジェクトである、映画『RE:cycle of the PENGUINDRUM』前・後編の公開をうけて、気鋭の文筆家が幾原監督の他作品にもふれつつ、『輪るピングドラム』その可能性の中心を読み解きます。

荻野目苹果の「桃果」ごっこ
冠葉と陽毬についてだけ言っても、高倉家の三人の「家族ごっこ」が危うい均衡のもとに成り立っていることは明らかである。ただもちろん、物語である「家族」の役割を演じているのはこの二人――加害者の子どもたち――だけではないのだ。
被害者の妹・荻野目苹果もまた、必死に演じている子どものうちの一人である。
荻野目苹果の姉、桃果は高倉家の両親らによって引き起こされた事件の被害者である。
桃果は幼くして亡くなってしまい、姉の命日に生まれたのが苹果であった。
幼少期には両親とともに過ごし、愛されていた記憶を持つものの、両親は現在は離婚してしまっている。両親の離婚に関して、彼女にはトラウマになっている記憶がある。
幼い彼女は、桃果を失った悲しみから立ち直れない母に対して「俺たちには苹果がいるじゃないか。苹果を桃果の分まで愛してやる、五年前そう決めたじゃないか」と父が言い、母が「無理よ、苹果と桃果は違う」と返しているところを、見てしまったのだ(第三話)。

自分を否定するかのような母の言葉、母と父が仲違いしていく様に深く傷ついた彼女は、一種の防衛反応として、強い妄想に囚われるようになる。
自分が桃果になれば両親の悲しみも諍いも存在せず、二人は離婚もせず、家族一緒にいられるはずだと。亡くなった姉に成りかわる、彼女の「桃果ごっこ」が始まってしまうのだ。
桃果の遺した日記を発見した彼女は、桃果は多蕗という男性に恋をしていたのだと考え、多蕗と結ばれるべく常軌を逸した行動に出るようになる。
彼女は多蕗をストーキングし、彼の家の下に潜り込んでは盗聴し、あるいは奇妙な惚れ薬を作って飲ませたりする。彼女の最終目標は多蕗の子どもを妊娠することである。
彼女はそれによって、自分が桃果になる試みは達成され、家族が再び共に過ごせるようになると信じているのだ。
苹果はもちろん、多蕗に恋をしている訳ではない。
本当の意味で自分であることを失い、桃果になりたいわけでもない。
多蕗の外見は離婚して家を出て行った父に似ている。だから苹果の多蕗への執着とは失った父に対する執着であり、彼女の異常な行動の全ては家族離散の悲しみの深さをこそ表している。妊娠=再生産とは、文字通り家族の再生産だったのだ。