ちくま新書

本当の「愛国」の話をしよう
――『愛国の起源――パトリオティズムはなぜ保守思想となったのか』はじめに

いま、世界を「愛国」思想が席巻している。「愛国」思想は、右派や保守の政治的立場と結びつけられがちだが、その起源は、古代ローマの哲学者キケロが提唱したパトリオティズムにあった。フランス革命では反体制側が奉じたこの思想は、いかにして伝統を重んじ国を愛する現在の形となったのか。ちくま新書6月刊『愛国の起源』の「はじめに」を公開します。

「愛国」=パトリオティズムの思想史とは
 そこでまず、これからの論述の大前提となることについて手短かにお話ししておきましょう。本書では、思想史(intellectual history)という研究領域の方法に則って話を進めますが、そのためにはいくつかの約束事を確認しておく必要があります。
 言うまでもなく「愛国」という言葉は日本語です。ちょっと意外に思うかもしれませんが、「愛国」という言葉は、日本語の文献では明治時代より前にはあまり見かけないものでした。明治時代に入り、欧米思想が流入するに際して、翻訳語として用いられたことをきっかけとして広く普及するようになった言葉です。
 その「愛国」という訳語が充てられた原語は英語で言えばパトリオティズム(patriotism)でした。パトリオティズムとは、英語の辞書では「自分の国への愛(love of one’s country)」と説明される言葉です。
 本書では、日本で「愛国」という訳語が与えられたパトリオティズムという思想の歴史的展開を追っていきます。
「パトリオティズム」が「愛国」と翻訳された結果、近代日本にどのような思想が流入したのか、そして、その「愛国」という言葉で表現される思想は、元々の「パトリオティズム」と同一のものなのか、あるいは異なっているとすればどのように違うのか、を明らかにしていきます。
 さて、「パトリオティズム」という言葉が英語やフランス語の文献に初めて現れたのは、既存の研究によれば18世紀初頭、1720年代のこととされています。しかし、実際にはそれより半世紀以上早い1666年に、イギリスの詩人ジョン・ミルトンがその言葉を使用したことを確認できます。「パトリオティズム」という言葉が普及した18世紀以前には、ラテン語でいえば、「アモール・パトリアエ(amor patriae)」、英語ではラテン語からの直訳にあたるlove of country という表現が広く用いられていました。
 その「アモール・パトリアエ」というラテン語表現には、「パトリア(patria)」という単語が見えます。これは日本語では「祖国」と翻訳される言葉です。つまり、「アモール・パトリアエ」とは逐語訳すれば「祖国愛」となります。このパトリアについての言説の総体がパトリオティズムという思想を表現するものであると理解してください。
「パトリオティズム」という単語それ自体の歴史に限定するならば、その言葉がまだ存在しなかった時代について語ることはできません。しかし、その言葉が使われるようになるまでにも数世紀にわたって「祖国愛」という概念が論じられてきたことに注目する必要があります。

歴史の中で概念は変化する
 読者のみなさんには、こうした表現の違いなど些末で取るに足らないと思われるかもしれません。
 しかし、翻訳というプロセスを経ることで、概念は少なからず変化します。それはヨーロッパ語から日本語に翻訳される場合だけでなく、例えば、ラテン語からヨーロッパの各国語に翻訳される場合にも起こりました。しかも、同一の言語表現ですら、様々な著者が、異なる状況下で用いるとまったく違った意味を持つこともしばしばです。このように、ある概念は、何世代もの人々によって論じ続けられてゆく歴史の中で絶えず変化を繰り返します。
 したがって、一九世紀ドイツを代表する哲学者ニーチェが述べたように、歴史を持つ概念は定義することができないのです。
 パトリオティズムや祖国愛という概念にしても、過去に色々な意味で論じられてきた歴史があります。「何らかの概念を論じる際には、その定義をまずはっきりさせる必要がある」という、一見したところもっともな主張をしばしば見かけますが、過去に登場した様々な定義のうち、一体どれが〝正しい〞定義なのか、という難問を避けて通ることはできません。
 だとすればなおさら、愛国やパトリオティズムという概念が実に様々な仕方で定義されてきた歴史を知ることが必要不可欠です。
 その歴史的多様性を浮き彫りにして初めて、パトリオティズムがどのような経緯を経て、右派や保守といった政治的立場と結びつくようになったのかも見えてくるはずです。

「パトリオティズム」と「愛国」
 パトリオティズムという考え方の歴史的多様性をはっきりさせるために、言葉遣いを少し慎重にする必要があります。
 ここで注目したいのは、明治時代の日本が欧米からどのような思想を受容したのか、という点ですので、欧米の愛国思想や愛国心については「パトリオティズム」という用語を主に用います。ただし、特に18世紀より前の時代に関しては、ラテン語や英仏語からの直訳である「祖国愛」という言葉を用いる場合もあります。
 一方、愛国という表現が近代日本で広く普及した翻訳語であることを強調する際には「愛国」とカッコ付きで表記します。カッコをつけずに愛国あるいは愛国的、愛国者といった言葉を用いる際は、その概念の地理的・時代的な相違を問わず、広く一般的な意味で用いていると理解してください。
 最後にもう一点。パトリオティズムの歴史を語るには、「パトリア」という概念が何を意味してきたのか、「パトリア」に対してどのような態度を取ることが求められてきたのか、についても考察する必要があります。
 つまり、「パトリア」をめぐる考察の内容がどのように変化してきたのかが決定的に重要なので、本書では、その点を特に意識するために「祖国」という日本語は原則として使用せず、「パトリア」というラテン語(のカタカナ表記)をあえて用いることにします。なぜなら、「パトリア」を「祖国」という日本語に訳してしまうと、その日本語の語感にみなさんの理解がついつい引っ張られてしまう恐れがあるからです。
「祖国」という日本語は、国語辞書では「先祖代々住んできた国」とか「外国に対する自分の国」を意味すると解説されますが、そのような通俗的な理解はとりあえず忘れてください。なぜなら、「パトリア」というラテン語の原語(そして、その英仏語への翻訳表現)は必ずしもそのような意味ではなかったからです。

本書の構成
 本書は以下のような構成になっています。まず、第1章で、ヨーロッパにおけるパトリオティズムの歴史を、古代ローマからフランス革命まで駆け足で概観します。そうすることで、一口にパトリオティズムと言っても多様なタイプが存在したことを確認します。特に、フランス革命に際して、パトリオティズムが近代ナショナリズムからの影響を受けて変貌を遂げたことに注目します。
 その上で、第2章から第4章にかけて、本書の主テーマである「どのようにして愛国は保守や右派の政治的立場と結びついたのか」という問題に、イギリスとフランスを中心に取り組みます。
 第2章では、従来のパトリオティズムが人類愛を標榜しコスモポリタンな性格を持っていたのに対し、自国第一主義的な主張を掲げる、新しい愛国の立場が18世紀のイギリスで現れたことを論じます。
 続く第3章では、「パトリアとは何か」という中核的問題をめぐって、祖国愛の対象を自国の歴史的伝統であると考える新しい主張が、18世紀イギリスに登場したことを解説します。しかも、この伝統保守の愛国は、古代ローマ以来のパトリオティズムの伝統とは大きく異なる思想であることを明らかにします。
 以上は、平時におけるパトリオティズムに関するものですが、続く第4章では「祖国のために死ぬ」という、戦時におけるパトリオティズムを取り上げます。この軍事的パトリオティズムは、伝統的に貴族身分だけに要求されていたのですが、革命期のフランスでは、近代ナショナリズムの影響のもとに変質し、すべての市民が「祖国のために死ぬこと」に熱狂するようになったことを論じます。
 第5章では、19世紀までにヨーロッパで成立したナショナリズム的で保守的なパトリオティズムが、どのような経緯で明治時代の日本で受容され、「尊王愛国」という日本独自の愛国思想に結実したのかを検討します。
 以上の歴史的考察を踏まえて、第6章では、現代においてパトリオティズムをどのように構想すべきかについて、私なりの回答を試みることで本書を結びたいと考えています。

 

関連書籍