ポラリスが降り注ぐ夜・文庫版

個人のための言葉、あるいは小説家の使命【後編】

『ポラリスが降り注ぐ夜』文庫化&「肉を脱ぐ」連載開始記念対談

李琴峰さんの代表作にして芸術選奨新人賞受賞作『ポラリスが降り注ぐ夜』が待望の文庫化! 単行本刊行時に対談していただいた村田沙耶香さんと、あらためてその魅力について、また激動する世界のなかで、いま小説家が書くべきこととは何か、前・後編の2回に亘って、存分にお話しいただきました。

現代における小説の存在意義とは
 文学は、たとえば中国文学なら四千年くらいの歴史があったり、創作物のなかでは歴史の長いジャンルですよね。だからその時々でいろんな意味を付与されてきた。たとえば中国の一番古い詩集で『詩経』という民衆の詩を集成したものがあるんですが、その冒頭の詩「関雎」は、美しい女は君子のいいパートナーになるんだという内容で、言ってしまえば、若い男女の求愛の詩です。春秋戦国時代にはそうだったのですが、時代が下って漢の時代になると儒教が発達してきて、既に古典になっているような詩にも政治的な意味づけをしないといけないとなって、教育的な意味で、これは妃の美徳を讃える詩だということになったんです。それが千年以上も続いて、近代になって、それは違うでしょというツッコミがもちろん入るんですが。またいわゆる四大奇書のひとつである『紅楼夢』は、一言で言うと恋愛小説なんですが、共産主義の文脈で読まれると、古い封建社会に反抗する政治的小説という解釈になりました(笑)。
 つまり文学はそれぞれの時代、それぞれの社会的文脈によって、いろんな役割を求められたり解釈を与えられたりしてきたわけです。映画もレコードもない数千年の長きに亘って、文字による文学は創作を一手に引き受けていたんですね。逆に、現代は文学以外にも、さまざまなメディア、手段がありますから、文学にできることはなにか、常に考えます。もちろん、それは個人の小さな宗教だったり、個人が生き延びる手段であるんですけど、もう少し広く社会的な視点で見たときに、小説にしかできないこととはなにか、小説の存在意義とはなにか、考えるんですけどなかなか答えは見つからないです。個人的な理由以外で、村田さんがいま小説を書かれる理由はありますか。

村田 さっきも言ったように、私は小説に救われたのですが、マンガも好きだったし、それがなぜ小説だったのかは自分でもよくわからないんです。それがはっきりこうだと言えれば、いまにおける小説の存在意義ということになるのではないかと思うのですが……。

 言い方を換えると、文学賞や新人賞は社会にとって文学なるものを登録し、またその新しい担い手を発掘するシステムですよね。また、誰かが個人的に書いた小説を、出版社が本にして流通させるのも、一概に小説が個人のものだけで完結しないから、そのようになっている。突き詰めて考えると、自分がいまやっていることの本質的な意味はなんだろうと思うんです。言ってしまえば、本当はそんな根拠や基盤なんてないんじゃないかという不安もあって、尊敬する先輩作家として村田さんの考えをうかがいたいです。

村田 お話を聞いていて、とにかく自分がとても何も考えていなくてただ小説という宗教を盲信していてとてもよくないなあ、という気持ちが膨れ上がっていくのですが(笑)、私の場合、無意識のぶぶんが大きいような気がしています。小説のほうから社会や世界の問題のようなものが形を変えてものすごい叫びとして出てくるという感覚があります。人間としてふつうに生きているときに社会や世間に対して思うことや意見はあるんですけど、小説は本当にどこに行くかわからなくて、どうしてこのひとたちがいきなりこんなことを始めたのか、私にも制御できないんです。それが私個人の考えを超えたなにかを拾っているのかもしれないし、拾ってくれていたらいいのかなと思います。
 そう言えば、なぜ小説にのめりこんだかと言うと、実験をしている感じが好きだったからかもしれません。読んでいるひとにとってもわかりやすくないし、ある程度、自分で作らなきゃいけないぶぶんがあるところがいいのかもと勝手に考えているんです。

――村田さんが先に読者のなかで小説が作られるということを言われましたけど、それは小説を読むことで個人となるということじゃないかと思うんです。そして、李さんが「朝日新聞」の寄稿で書かれていたことともつながりますけど、いま社会に飲み込まれず個人であることを守ってくれるのは、社会的に必要な小説の機能ではないかと思います。

村田 いま世界に言わされている言葉、自分の言葉のように思ったけど、本当は自分の言葉じゃなかった言葉がたくさんあると思うんですけど、それが自分の内面から剥がれ落ちていって、奥底にある自分の言葉を発見させるという役割はあるように思います。

 確かに、社会や世界が大きく動き出したり、何か逆らえないような大きな流れの中に身を置かれたりする時は、自分の言葉ではない言葉を世界に言わされるというようなことはよくあります。本当の意味での自分の言葉を探すことで、個人として社会に対峙すること。そういう小説の大事な機能を見失いたくないと思いました。自戒を込めて。

 

前編はこちら)
(二〇二二年五月一六日、都内某所にて収録)

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