鈴木家の箱

鈴木家の箱

第2回は、我が家の「箱」のお話です。

 鈴木家には大きな箱がある。
 その箱には楽しいことがたくさんつまっている。

 物心ついたときから、鈴木家は人の集まる家だった。
 母の学生時代の友達、父の仕事仲間、私の友人たち、近所の人たち。
 いつもたくさんの人が集まってきて、一緒にご飯を食べたりTVを見たり漫画を読んだり、笑い声の絶えないにぎやかな家だ。

 父はアニメージュの編集長をしていた頃、60名ほどの社員の方々を自宅に招いてパーティーをしていた。20畳くらいのリビングに縦長のローテーブルをふたつ置き、皆床に座ってぎゅうぎゅうにひしめきあっていた。
 父は家にいるときはいつも横になってTVを見ていて、おしゃべりなほうではなかったのだが、その日は部屋中に通る大きな声でニコニコ笑いながら話し、話題の中心になっているのが印象的だった。その中ではいわゆる上司という立場だったのかもしれないが、お客さんたちは皆リラックスしていて、気さくにワイワイ談笑していた。
 私は「会社とはこういうところなんだな。大家族みたいだな。」と思っていた。明らかに収容人数以上の人たちがひしめきあっている風景が、面白くて大好きだった。
 子どもだった私は、その中に混じってよくみなさんの話に入れてもらっていた。私はその頃ブルーハーツが大好きで、同じくブルーハーツが好きだというおじさんと、ブルーハーツについて朝まで熱く語り合った。そのおじさんは私が持っているブルーハーツのCDを見ながら一曲一曲どんな素晴らしい曲かを熱弁していた。
 いま考えると酔っ払っていたのだと思うが、「青空」という曲を歌いながら真っ赤な目をして語るその人を見て私は、感極まって泣いているのだと思い、なんだか自分も熱くなって興奮して話したのを覚えている。

 鈴木家は昔から出入りは自由。私の友達は合い鍵を持ち、私がいないときでも自分の友達を呼んで私の部屋で漫画を読んだりしていた。私が旅行から帰ると友達や私の知らない子に私の母が焼きそばを作ったりしているのだ。私は友達の友達に自分の部屋で「初めまして」と自己紹介をする。
 こんな話をすると、そんな家聞いたことないとよく笑われる。
 他人と家族の境界があいまいでなんでも許される面白い家だった。

 私はそんな我が家を箱みたいだと思っていた。
 箱を見るとワクワクする。何が入っているんだろう。何を入れようか。目の前に箱があるだけで想像力が膨らむ。
 私はよくアマゾンや楽天などの通信販売で買い物をするのだが、自分で注文したものをいつもほぼ覚えていない。宅配の方から荷物を受け取るたびに「この中身はなんだろう?」と楽しみながら封を開ける。その瞬間が大好きだ。
 開けてみると「あぁ、あれか!」と思ったり「こんなの頼んだっけ?」と思ったり、毎回いろんな驚きがあってそれも楽しい。
 箱は私にとってワクワクの象徴なのだ。
 今日は誰がいるだろう。今日は何があるんだろう。開けるたびに「わあ」と感激できる箱。
 我が家はそんな箱のような家だった。

 父が60人のひとを呼んでパーティーを始める少し前、突然父から引っ越しの話をされた。私たち4人家族が住む恵比寿のマンションはリビングの他に部屋がふたつで、子供部屋を作ったら父と母が寝る部屋がなくなってしまう。ひとも呼べる、もう少し広い一軒家に引っ越そうと父は考えていたようだ。
 多くの子供は「自分の部屋ができる!」「家が広くなる!」と喜ぶのかもしれない。実際、弟はそういう反応だったようだ。
 でも私は「絶対に嫌だ!!」と泣き叫んだのだった。

 私はそのとき「私が引っ越したら皆が恵比寿に集まれなくなっちゃう」と思った。
 当時の恵比寿は開発が進み始め、昔からある一軒家が次々に壊されマンションや商業施設に変わり始めていた。同じ中学の友達は自宅がなくなるのと同時に次々に恵比寿から離れ、違う地区から越境して恵比寿の学校に通っていた。
 これで私まで引っ越しをしたら皆で集まれる場所がなくなってしまう。高校生になって違う学校に通うようになったら皆ばらばらになってしまうと思い、絶対に恵比寿を離れるのは嫌だった。

 「皆は引っ越してもいいよ。私はここに残るから。」とまで言う私に、父は引っ越すのを諦めてくれた。
 その後、苦肉の策で家をリフォームして、リビングを少し広くし、ほかのふたつの部屋を4畳の3つの部屋に変え、私の部屋、父の部屋、弟の部屋と横並びでそれぞれ自分の部屋を持った。
 父の部屋は本棚に囲まれてシングルベッドが一つ置いてあり、本棚とベッドの間にはひと一人通るスペースもないくらいだったので、父はいつでもベッドの上にいた。大きなTVを置くスペースもなかったので、手のひらほどのサイズのTVで映画を見たり本を読んだりして過ごしていた。
 リビングと父の部屋は薄い壁1枚だったので、リビングでくつろいでいると、父がなんの映画を見ているかわかった。
 朝、父を起こすときはリビングから「パパ起きてー」と声をかけると、中から「あと5分」という声が聞こえてくる。それが数回繰り返され、5回目くらいにやっと起きてくるのだ。もう25分経ってるけど平気なのかな?と思っていたが、最初から余裕を持って起きる時間を設定していたので平気らしかった。

 母に至っては自分の部屋もなく、リビングに毎日布団を敷いて、2匹の猫にまみれて寝ていた。母はその癖が抜けず、皆が家を出て一人暮らしになってからもリビングに布団を敷いて寝ていた。
 私の部屋はテーブルも折り畳み式だったので少しはスペースがあったが、いつも友達がたくさん来るので、シングルベッドに7人くらい座って隣の人と重なり合いながらギュウギュウで過ごしていた。その4畳の部屋に最高15人泊まったこともある。もちろん寝ころぶスペースもなく、何人かは座ったまま寝ていた。一度皆が泊まっている時に夜中に起きたら一人の子が正座しながら寝ていて笑った。

 友達が泊まっているときは隣の部屋の父に騒いでいる声が丸聞こえで、よく夜中に「うるさーい!」と叫ばれた。もちろんそれで静まるわけもなく、父にとっては睡眠を妨げられる地獄の夜だったろう。それでも父は「友達を泊めるな」とは一度も言わなかった。

 そんなふうに決して快適とは言えない家だったが、それでも私は恵比寿から離れることは考えられなかった。

2022年11月10日更新

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鈴木 麻実子(すずき まみこ)

鈴木 麻実子

1976年、鈴木敏夫プロデューサーの長女として東京で生まれる。様々なアルバイト経験を経て美容サロンのマネジメント業につき、店舗拡大に貢献する。
その傍ら映画「耳をすませば」の主題歌「カントリー・ロード」の訳詞、平原綾香「ふたたび」、ゲー厶二ノ国の主題歌「心のかけら」の作詞を手掛ける。
現在は1児の母となり、父である鈴木敏夫をゲストに招いたオンラインサロン「鈴木Pファミリー」を運営する。