愛のある批評

七海ななについて知っているいくつかのこと (3)

人や作品が商品として消費されるとき、そこには抗い、傷つく存在がある。
2021すばるクリティーク賞を受賞し、「新たなフェミニティの批評の萌芽」と評された新鋭・西村紗知が、共犯者としての批評のあり方を明らかにしつつ、愛のある批評を模索する。
七海ななによって明らかにされた共同体の崩壊。その再生の鍵も、また彼女が示していた。

《舐める女》でもまた、彼女が演じる新妻は、夫との不和に悩んでいた。《人妻》とは違い夫婦仲は改善されて終わるが、これもまた相手に対する和解というよりは、自分の性癖の互いにあずかり知らぬかたちでの解放と、家族になったほんのささやかな根拠を思い出すことによる、自分自身の内部で起こる和解である。
 杓子定規で過度に潔癖症なホワイトカラー男性の輝彦と結婚相談所の紹介で結婚した、自分に自信のない女性・カオルはいわゆる「匂いフェチ」だ。輝彦は性交後にすぐさま消臭剤をスプレーし、食卓では「味噌が少し多いかもしれませんね」などとカオルに細かい指示を与え続ける。夫の輝彦は、理想の家庭像を追い求めているかのようである。
 彼ら二人が住む住居もまた、輝彦の精神で支配されているかのように、掃除は行き届き、リモコンの置く位置までしっかり決められている。それに対し、カオルは反抗する意志も言葉もない。だが、やがてカオルは自らのもともとの性向に従い、夫の居ぬ間に住居を汚し始めるのである。
 カオルは汗臭いものが好きだ。近所で練習中の野球部員の肌着や、ランニング中の男性の帽子を盗み、それで自慰行為にふけるのだった。家財道具はカオルの体液で汚れていく。夫にはバレてはならない。夫の帰宅する8時より前に、彼女は住居を掃除せねばならない。掃除したあとのティッシュペーパー(トイレットペーパーではなく)はゴミ箱に残すと輝彦にバレるためか、トイレに流す。ある時、それでトイレを詰まらせて壊してしまう。その清掃業者の男性・浅野の作業中、彼のタオルを盗んで風呂場で自慰行為にふけっているところ、これが彼にバレて性交に発展する。ここで物語が動き出す。
 他方、輝彦も、会社の接待でSMプレイを経験し、特殊性癖に目覚めていく。この二人の性癖の開発に携わる二人、清掃業者の男性と女王様は実のところ幼馴染の恋人同士で、終盤にはこの二人も夫婦になる。実家の青森のリンゴ園を引き継ぐことを決意し、郷里で生きていくことを決意するのだった。
 二組の夫婦が偶然混交し、彼ら四人の生き方は少しずつ変わっていくが、それは悪の喜びに退廃することとは反対の生き方だ。浅野が清掃業をやめたと聞き、引き継いだ人間から無理矢理住所を聞き出し浅野のもとへ行くカオル。プレイの途中、「あたしここやめんだよね、今日。田舎帰って結婚すんの」と、輝彦に語りだす女王様。二人は次のように会話する。「ねぇ、結婚っていいもの?」「わかりません」「なんで結婚したの? 前から聞きたかったんだよね」「一目ぼれです。妻の笑顔に一目ぼれしました。でも、一緒に暮らすようになってから妻は笑わなくなりました」。他方、カオルも浅野と同じような会話をしていた。「なんで結婚したんですか?」と浅野に聞かれ、カオルは「匂いが……あんないい匂いはじめてで」と答える。
 輝彦とカオルは、それぞれの経験を経て、「笑顔」「匂い」という家族となった根拠を思い出す。しかしその根拠は、カオルにとっては相手の匂いがタイプだったという、自らの意志で行った根拠付けとは言えないささやかなものだ。大事なのは、輝彦のうちで、理想像のようなものがほとんど効力を失っていったことだろう。合間の、輝彦とカオルの朝食のシーンで、輝彦が次第にカオルの振る舞いに寛容になっていく過程が示されている。輝彦はカオルが肘を立てて牛乳を飲むのをもはや注意しなくなっている。
 最後も朝食のシーンだ。輝彦はカオルに、「味噌変えましたか?……いえ、おいしくなりました」と伝える。またトイレを詰まらせてしまったカオルは、掃除を輝彦に頼む。最後、輝彦の首筋の汗を舐めて、カオルがやっと笑顔を見せて映画が終わる。
 かつての根拠を思い出すことを通じて、具体的な状況下で和解することで彼女は、暴力の装置とされることなく、秩序の崩壊へとなだれ込むことなく、生きていくことができる。