私は正直、ジブリ映画をそんなに知らない。
ひととおり見たことはあるが、公開時に見たきりのものがほとんどなのでもう記憶は薄れている。
先日私がやっているオンラインサロン「鈴木Pファミリー」のメンバーと『耳をすませば』の実写版を見たが、ジブリ版をほとんど覚えていなかったのでどこが再現されているかまったくわからず、みんなの話についていけなかった。
私がジブリの話についていけないのはいつものことなので、メンバーは皆、初めて見る子どもに教えるように丁寧に説明してくれる。ありがたいことだ。
ちなみに父のラジオも数回しか聞いたことがないし、父の書いた本は一度も読んだことがない。父が出演したTVや何かの賞をとったときも、友人やメンバーからの連絡で知ることがほとんどだ。
こう言うと驚かれるのだが、父の仕事やジブリに関して、私はまわりの誰よりも無知なのだ。
なぜ私が父やジブリに無知なのか。無意識に避けてきたからなのかもしれない。
ずっとジブリが好きではなかった。ジブリ映画を見ると複雑な気持ちになる。
いつもいつも私についてまわる、決して逃れられない「ジブリ」というワードへの拒否感、そして家族から父の時間を奪うジブリを、私はどうしても好きになれなかった。
小学校の頃に男友達から「お前の親父アリオンのサインもらえるだろ? 一生のお願いだからもらってくれよ」と謎のお願いをされた。
アリオンが何かも知らなかったし、父の仕事もよく分かっていなかった私は、最初は断ったのだが、彼のあまりの熱意に押され、父に聞いてみることにした。
「友達がアリオンのサインを欲しがってるんだけど、アリオンって何?」と聞くと、「アニメのキャラクターだよ」と言われた。
それじゃあサインなんて無理じゃないか。彼は何を言ってるんだ……と戸惑っていると、父はどこかから色紙を出してきてなんの躊躇もなく自分のサインを書いて私に渡した。
私がもっともっと小さい頃、父が畳の部屋のテーブルに座り、なにやら自分の名前をいろんなパターンで何度も紙に書いていたことを思い出す。
「なんでそんなに何度も自分の名前を書くの?」と聞く私に「サインの練習だよ。いつか書くことになるから」と言っていて、「普通の人がサインなんて書くことないのに」と子ども心に思ったのだ。今ではそれが現実になっているのだから、あの頃の父は正しかったのだ。
しかし父がたくさんサインをするようになるのはまだ先の話で、アリオンのサインを頼んだ頃は父のサインを欲しがる人なんていなかったのだ。少なくとも私のまわりには。
なので、男友達が欲しがっているのが父のサインではないことを私はなんとなく気づいていた。
これでいいのか? 絶対違う気がする……と薄々感じながらも、次の日その色紙を「これしかもらえなかったけど」と躊躇しながら彼に手渡した。
そうすると、驚く反応が返ってきた。彼は踊るように飛び跳ね、涙を浮かべて喜んだのだ。
「ヤッター! すげー! アリオンだ!」
そう叫んでいた彼は、当時はそれを本当にアリオンが書いたものだと思っていたんだと思う。「すずきとしお」と思い切り書いてあるのに。
喜んでいるのだから何も言うまいと思った私は、苦笑いでその場をやり過ごした。彼は数年後その違和感に気づいたのだろうか。
この小学生の頃の出来事が私にとって、父が少し特殊な仕事をしているのだということを初めて感じた瞬間だった。
それからナウシカが放映され、トトロが放映され、父の仕事をよく分かっていなかった頃が思い出せないくらい、私はまわりに父の仕事のことで冷やかされるようになった。
いま思えば称賛だったのかもしれない。でも「ナウシカー」「トトロちゃん」と呼ばれることが、私は嫌で嫌で仕方なかった。
前に『ゲゲゲの女房』というドラマを見たときに、水木しげるの娘が父親の仕事をひた隠しにしていたのを見て、すごく気持ちが分かると思った。
親の何かで目立ってしまうことなど、子どもにとっては苦痛でしかない。「すごいじゃん」なんて言われても、とにかく話題に出さないでくれと心で祈りながら目をつぶるだけなのだ。
それは幼少期だけにとどまらず、大人になるまでずっと続いた。出会った人に自ら父のことを話すことはあまりないが、共通の友人から聞くなどなにかのきっかけで知られることが多く、そのたびにすごく驚かれて、なんとも居心地の悪い気分になったのだ。
カントリーロードを書いてからはなおさらだ。カントリーロードを作詞したことは私の人生の大きな誇りなのだが、カントリーロードの話をすると父のことも話さなければいけなくなるジレンマがあった。