しかし30歳くらいを境に、私は人から父やジブリのことを言われることが嫌じゃなくなった。
むしろ嬉しいとさえ思うようになった。称賛は称賛として素直に受け入れられるようになり、父のファンだと言われたらありがたいと思うようになった。
「ジブリグッズでほしいものがあるんだけど手に入る?」なんて人に言われても、「ジブリグッズがほしいと思ってくれるなんて嬉しいな」と思うようになったのだ。
それはある意味、一種の開き直りだったのかもしれない。私がどんなに拒否をしても、どうせ言われるなら受け入れるしかない。
ジブリや父は私の一部のようなもので、それを好きだと言ってくれることは私の一部を好きだと言ってくれていること。ジブリに魅力を感じて私を好きになってくれる人も、私を好きになってくれていることにかわりはないと、自分で自分に言い聞かせていたのかもしれない。
しかしそのマインドコントロールの効果は絶大だった。
鈴木敏夫の娘であることが嫌じゃなくなり、むしろ嬉しいことになり、ジブリのことを聞かれたり何かを頼まれたりすることも喜びに変わったのだ。ひとことで言えば「大人になった」ということなのだろうか。
父との関係が少しずつ変わっていったのもその理由ではないかと思っている。
団塊の世代の父親たちは皆そうだったのだろうと思うが、やはり私の父は特に忙しかった。帰ってくるのは毎日夜中の2時を過ぎていて、顔を合わせることもなかった。
小さい頃は私は父が同じ家に住んでいることを知らず、日曜日に会うと父に「また来てねー」と言っていたそうだ。
家が広かったわけではない。ひと言話せば内容まで分かってしまうくらいの家だったが、それでも顔を合わせる機会がなかったのだ。
私はテレビでホームドラマを見るたびに「家族で毎日夕飯を食べるってどんな感じなんだろう?」と憧れていた。
母も仕事をしていたのでベビーシッターが来ていた。鍵っ子だったので、なおさらそういう家族に強い憧れを抱いていた。
父が自営業だったら良かったのに。『渡る世間は鬼ばかり』の幸楽みたいなラーメン屋をやっていれば良かったのに。
そうしたら「ナウシカ」とか「すごいね」とか言われることもなかったのに。
いつもそんなふうに思っていた。
たまに顔を合わせる父は、いま思えばうるさいことを言うでもなく、どちらかというと理解のある父親だったように思う。しかしその当時の私にとっては「仕事ばかりで家族に関心のない父親」と見えていたのだ(今でもその思いは残っているが)。
父とは対照的に母はとても厳しく、過度に干渉するタイプだった。
思春期の私は、母親の過干渉と父親の無関心にはさまれ、そのバランスの悪さに苛立っていて、特にあまり顔を合わせない父のことは「同じ家に住んでいる他人」という遠い存在に思っていた。
実際はそんなに他人だったわけではなく、家族で食事に行ったり旅行にいったりすることもあったのだが、心の中ではそういう距離感だった。
そんな私と父の関係が少しずつ変わっていったのは、私が30歳を迎えようとしていた頃だ。それまでは外で遊ぶことが多く実家に住んでいても家に帰るのは夜中だったのだが、私も友人たちも仕事にひと段落がつき、遊び方も変わり、少し落ち着いた生活をするように変わっていった頃だった。
毎週日曜日、中高からの仲良しの4人の友人たちが家に来て、私の家族と彼氏と夕食を食べ、皆で映画を見るのが習慣になった。私たちはそれを「日曜ご飯会」と呼んでいた。
母の作る夕飯を食べたあとはれんが屋に行き、父がテーブルの上に用意した数本のDVDの中から、その日にどの映画を見るかを皆で話し合って決めた。話題になった洋画を見ることもあれば、父の好みの昔の日本映画を見ることもあった。
今でも覚えているのは、チェ・ゲバラの若き日を描いた『モーターサイクル・ダイアリーズ』や殺し屋が人を殺しまくる『ノーカントリー』、黒澤明監督の『生きる』、時代劇の『切腹』などだ。
『切腹』は題名からして皆まったく興味をそそられなかったのだが、父があまりに「名作だ」とごり押しするので見た。皆も白黒の時代劇なんてなかなか見る機会がなかったと思うが、見たあとは「意外と面白かった」と盛り上がっていて、父は満足気に「でしょ? 見てよかったでしょ?」とドヤ顔をしていた。
いま思えばそれが、「鈴木Pファミリー」の始まりだったのだと思う。
友人たちを通して、私は、どう話していいか分からなかった父と自然に会話ができるようになった。私の友人たちと仲良さげに話す父を見て、私もそうやって話せるようになったのだ。
一度、その中の一人の友人から仕事のことで相談を受け、それを父に相談しに行ったことがある。私は就職もしたことがなかったので社会のことをあまり知らず、社会人の大先輩である父に聞けば、いいアドバイスがもらえるような気がしたのだ。それが、私が父と初めて二人で会話をした時間だった。
初めてれんが屋に一人で行くときは、すごく緊張したのを覚えている。
冷たいことを言われるかもしれない。「くだらない」と吐き捨てるように言うのが口癖だった父に、一蹴されるかもしれない。
そう思いながら恐る恐るれんが屋に行ったのだが、思いのほか父は親身になって聞いてくれて、的確なアドバイスをしてくれたのだ。
私にとってそれは父に対する成功体験となり、それを何度か重ねるうちに少しずつ、父との関係が変わっていった。
それと同時に、ジブリに対する拒否感のようなものが少しずつ薄れていった。