鈴木家の箱

鈴木Pファミリーの始まり

2021年から始まった、オンラインサロン「鈴木Pファミリー」。その誕生の背景には、父と娘の関係に起きたある変化がありました。

 私の友人たちにも家族ができて、少しずつ会う頻度も減っていったとき、日曜ご飯会に来るようになったのは父の仕事仲間やその友人たちだった(その一人がクラブハウスで一緒に「父と娘の映画談義」に参加してくれている博報堂の小松さんだ)。
 父を好きでリスペクトしてくれている彼らと時間を過ごしていくうちに、私は以前よりもっと父のことを知ることになった。
 彼らの話す父は私の知る父とはまったく違う人物像で、仕事場ではそんな感じなんだというのが知れて、とても興味深く面白かった。
 家ではいつもゴロゴロ横になってばかりだったし、大体プロデューサーって何をする仕事なのかよく分かっていなかったのだが、どうやら毎日のようにいろんな人と会い、いろんな決断をしているらしかった。
 そしてジブリが好きだという彼らの話すジブリ映画もまた、私が見てきたジブリ映画とはまったく別のものだった。純粋な気持ちでジブリ映画を見たらどんなふうに感じるんだろう。
 彼らの話を聞いていると、私はなんだか、自分がすごくもったいないことをしていたような気がしてきていたのだ。
 もっと父やジブリのことが知りたい。私も純粋な気持ちでジブリ映画を見てみたい。
 そう思い始めたのはその頃だった。しかし、なかなかそんな機会もきっかけもなかった。

 それから数年の時が過ぎ、時代はコロナ禍という誰もが経験したことのない混乱期に突入した。
 誰にいつ何が起こるか分からないような不安の中、父もいつまで元気でいるか分からないし、これから先、父と過ごす時間はどれくらいあるんだろうなんてことを考えていた。
 ちょうどそんな頃、スマホニュースで芸人の東野幸治さんが娘さんとYouTubeラジオをやっているという記事を読んだ。父娘がこんなふうに仕事を通して関わるなんて素晴らしいとなんだか魅了されてしまい、「私もパパとお仕事してみたい!」と考え始めたのだ。
 父と私の共通項と言えば「映画」だ。昔から父と会話をするときはだいたい映画の話だった。父と映画について語ってそれを配信したら面白いんじゃないかと思いついた。題して「父と娘の映画談義」だ。
 Youtube配信も考えたが、それはちょっとハードルが高い。誰にも聞かれないのはさみしいけれど、あまりたくさんの人に聞かれるのは恐かった。そんなときにクラブハウスの存在を知り、程よくクローズドでちょうどいいんじゃないかと思い、「父と娘の映画談義」をクラブハウスで配信しようと決めた。
 しかしよく考えると、父と二人きりになったことなんて人生で何度かしかないのに、二人でトークするなんて想像しただけで気恥ずかしい。いや、絶対に無理だ。
 そこで私は考えた。そうだ、誰かを巻き込もう。

 父と映画について語ってみたい人を集めて、皆で語ったら楽しいじゃないか。そんな機会を待ち望んでいる人たちもいるだろうし、私も父と二人で対峙しなくて済んで一石二丁だ!
 何より私たち親子はにぎやかなのが大好きなのだ。父娘に他人を巻き込んで一緒に何かをやるなんて、考えるだけでワクワクする、理想的な形だと思った。

 こうして映画を語るオンラインサロンをやろうという考えが私の中で固まったのだ。オンラインサロンというものをよく知っていたわけではなかった。LINEニュースで数回その言葉を見た程度だったが、幼馴染がオンラインサロンをやっていたので話を聞いてみたりして、私なりに勉強した。
 サロンによってやり方も規模もいろいろありそうだったので、とりあえずやり始めて、あとはまだ見ぬメンバーたちと作っていけばいいと思った。
 サロン名は私たち家族のLINEグループ名「鈴木Pファミリー」にしようと決めた。これから出会う皆には、ファミリーのように鈴木家の一員となって、私たちと一緒に想い出を作ってほしい。父亡きあとにもずっとその想い出を共有して、皆で語り合いたい。
 そんな思いを込めてこの名前をつけた。 

 そしてある日の夜、私は父に「ちょっと話があるんだけど時間作れる?」とLINEを送った。父はすぐに時間を作ってくれた。私からそんな連絡が来るのは珍しいので父も構えていたのだと思う。私がれんが屋に入るなり父は「話ってなに? なんかあったの?」と聞いてきた。
 私は事前に用意していた概要を書いた一枚の紙を父に渡して「オンラインサロンをやりたいんだけど、協力してくれない?」と言った。
 なにかあったわけではなさそうだと、父はほっと一息ついてその紙をチラッと見たか見ていないかくらいのスピードで「いいよ。協力するよ」と言った。私は驚いた。その紙にはたいした詳細も書いていなかったからだ。 
・パパと仕事をしてみたいので父と娘の映画談義を月1くらいでクラブハウスでやりたい。 
・それなりの有料にはするけれど、ビジネスをしたいわけではなく、仲間を作って楽しいことをするのが目標なので、顔を覚えられる少人数でやりたい。
・私がある時期、パパと深く関わって交流した記録を残したい。
 その3つだけ書いて、あとはその場で説明しようと思っていたのに、まさかのふたつ返事だった。
「え、まだいろいろ決まってないんだけど本当にやってくれるの?」 
という私に
「だってやりたいんでしょ? しょうがないじゃん」
と父はいつもの口調で言った。

 フワフワした気持ちで家路につくと、その日の夜に父から 
「習うより慣れろだ」 
 とLINEが来た。 

私「パパとの最後の想い出作りだしね」
父「あのさ、あと20年生きるぞ」
私「あと20年しかないんだよ」
 というLINEのやり取りが、今でも私のスマホに残っている。