1.「前田敦子の時代」は終わった?
そういえば、筆者は前田敦子に会いに行ったことがない。
前田敦子。「会いに行けるアイドル」という文言を人口に膾炙させるに最も貢献したであろう、最近までおよそ10年間続いたアイドルの時代の、アイコニックな存在だった彼女。「……歳の前田敦子です」――アイドルグループのセンターに立つ人間らしい、キャラ付けの施されていないシンプルなキャッチコピー。モーニング娘。の安倍なつみやアイドルマスターの天海春香と同じような、アイドルグループのセンターたるもののキャラクター類型をしっかり押さえた、ミディアムボブカットの髪型。少女たちの個性を一旦消し去りグループの「システム」に帰属させんとするあのチェック柄の制服風の衣装、黒目がちの瞳、「言い訳Maybe」の終盤のソロの鼻にかかったような歌声――特徴を思い付くままにあげつらっても、やっぱりどこか、彼女のことを秀でた存在だと説明するものとはならない。彼女は、当時よく言われていた「クラスの3~4番目にかわいい娘」というグループのコンセプトにふさわしい存在だった。
彼女は、大衆共通の話題としてマスカルチャーがもはや機能しなくなったなか、2005年から2012年まで、人気絶頂のAKB48において、大半のシングル曲でセンターに立ち続けた。
思い返せば筆者が、マスカルチャーが困難になったと最初に感じたのも、地上波の歌番組で初期のAKB48が「桜の花びらたち」を披露しているのを見たときだった。この人たちは一体誰なのか――地方の田舎で東京の局所的な文化現象を知ったときの疎外感は強く、今でも鮮明に思い出せる。もちろんそこには前田敦子が映っていたはずだったが、彼女のことなど当時の筆者は知る由もなかった。一家に一台のテレビを囲むよりも、一人一台の端末でめいめい好きなものを見るようになることも、端末を介さず直接会いに行く楽しみ方がこれだけ普通のことになることも、消費者が端末から直接課金するのがほとんど当たり前のようになることも、筆者は何も考えていなかった。2000年代以前のマスカルチャーはもう戻ってこない。だが「マス」ということへの欲求やら需要やらが無くなったわけでもなかった。AKB48は、「会いに行けるアイドル」という身体性を武器に、その身体から遠く離れた地方在住者をも巻き込むことで、そして地方劇場の設置で身体を届けることもし、そうして、そもそも身体性の希薄であるところのマスカルチャーを自分たちのために新たに作り直したことになるだろう。
AKB48の人気などきわめて疑わしく人為的に過ぎないと多くの人は感じていた。しかし同時に、それでは日本の芸能界で人為的ではない人気が一度もなかったというのか、と思えばそんなことはない、ともわかっていた。マスカルチャーの崩壊により生じる不安を、東日本大震災による社会情勢の不安定化、そこから発展した「絆」という言葉の下での急激な結束とあいまって、多くの人は多分に受け入れがたく感じていたことだろう。そういう人は、被災地を訪問するAKB48の映像を見て、今なおマスカルチャーにできることは何かと、考え込むこともあったのかもしれない。だからあの頃、真にAKB48を嫌うことは思いのほか難しかった。
「フライングゲット」の金色の衣装――だがあの頃の前田はスポットライトを浴びて輝く分、矢面に立たされてもいた。彼女の容姿に関する特徴や振る舞いに関するささいな至らなさ、楽曲をどういうふうに歌っているのかという点なども、すぐに人々の批判の材料となった。付属の特典のためにファンに中身の同じアイテムを複数購入させるシステムは「AKB商法」と批判され、実際多くのファンが「選抜総選挙」に「推し」をランクインさせるべく、投票権の入ったCDを買い、音楽産業はあの時一度死んだ。「AKB商法」は、音楽産業をハックするほとんどルール違反に近い抜け道のようなものだったが、これを一方的に否定する態度は、音楽産業の現実を直視していないものと受け取られてしまうようなところがあった。そして、これからどうやって音楽を売るかといったビジネスモデルの話をすることに比べれば、彼女ら一人ひとりを語ることは軽視されていたところもあったように思う。
人や作品が商品として消費されるとき、そこには抗い、傷つく存在がある。
2021すばるクリティーク賞を受賞し、「新たなフェミニティの批評の萌芽」と評された新鋭・西村紗知が、共犯者としての批評のあり方を明らかにしつつ、愛のある批評を模索する。
第2回は西村と1歳違いの、アイドルの時代を象徴する存在、前田敦子について。
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