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前田の場合のフラットな関係とは、要はAKB48という「システム」のことであり、前田はまさに、七海の演じる人物が「住居」によって生き生きとしたのと同じく、「システム」によって生きるアイドルだったと言えるだろう。だが、「住居」が不特定多数の過去の生き方が蓄積された物質的規定だったのに比べ、「システム」はどうも疑わしい。この中で生きる人々が主体的に生きていけるとは、未だに腑に落ちない。
AKB48を「システム」の点で評価する論者は複数いたが、いま考えると「システム」は、そこまでわかりやすいものとは思えない。「システム」は彼女らとファンに機会平等性をもたらしたが、他方この中で生きる人々を代替可能性に導くところがあった(ファンもまたアイドルにとって代替可能である)。
AKB48をシステムとして、そのゲーム性の面で評価していた評論家の宇野常寛は、2012年当時、前田敦子の卒業をグループにとってそこまで致命的ではない、と考えていた。「前田敦子は唯一無二の存在ではなくあくまで「48人中の1位」(実際にはもっと分母は多い)、あくまで相対的なエースにすぎないからだ。単一の大きな存在がシーンを牽引するのではなく、無数の小さな存在たちの集合がシーンを形成する――これがAKB48というシステムの基本的な発想だ」(宇野常寛「お金には(たぶん)ならない 第1回:前田敦子の「卒業」とは」『週刊東洋経済』東洋経済新報社、2012年4月7日号、128頁)。このグループの中に唯一無二の存在はいない。だがこの冷めた洞察は、そこまで当たっていなかったと筆者は思う。確かに前田はシーンを牽引するようなアイドルではなかったけれども、それはシステムに帰する事柄であると同時にやはりまた彼女自身の資質と切り分けることができない。彼女にシーンを牽引するほどの強い魅力が無かったからこそ、彼女はAKB48で勝ち続けた、と考えるべきではなかったか。そして、他の女の子たちのキャラ付けの起点として常に関係構築に供されるままだった前田が去ったのちには、AKB48は女王アリを失ったアリ塚のようにゆっくりと衰退へ向かっていった。この「システム」か「実存」か、どちらが先にあるかわからなくさせてしまうところこそ、前田敦子の最大の武器だったはずだ。
「その程度」性を過小評価しては、見えないものが増えていく一方なのである。だが多くのアイドル愛好家は、いつだって自分自身が何かを低く見積もることで作り出した「その程度」性が、結果的にその程度では済まなかった、という事態を欲してしまうものでもある。このとき彼らは最も、アイドルの仕掛け人に自分を重ね合わせていることだろう。
ところで《ケイコ先生の優雅な生活》と、AKBグループのメンバーが出演していたヤンキー学園ものドラマ《マジすか学園》第1期とは、突発的に起こるものが性交渉とケンカとでは似ても似つかないが、登場人物の言葉のなさゆえの衝動性という点で、そしてまた関係構築と根拠付けのなし崩し的な表現という点でも、筆者の問題意識のうちでは近いものである。前田もまた、七海と同様暴力を振るわれ続ける。グループ卒業からだいぶ経った頃の仕事である、映画《旅のおわり世界のはじまり》(黒沢清監督、2019年)でもその表現の一端が垣間見えるように思うのだが、実際に暴力が振るわれなくとも、前田敦子もまた、どことなく「ヴァルネラビリティ」の人である。ただ《マジすか学園》の前田は作中で最もケンカが強いのであったが、この負けない前田という筋書きは、AKB48のフィクション性を一番明瞭に物語っていたものだった。関係構築が彼女たちの主体性により、出来上がっていくことは基本的にはなく、「システム」において主体性はいずれ商品になってしまう。「ガチ」は「フィクション」の方へとくずおれるように包摂されていった。
『AKB48 友撮』という、彼女ら自身がメンバー同士で築き上げた関係がそれぞれ写真に収められた記録冊子があった。これもまた安心して消費できるものとしてファンが楽しんでいた以上、むしろファンのその消費という態度でもって「フィクション」に成っていくものであった。
「システム」と「実存」、「フィクション」と「ガチ」。基本的には相いれないものであるはずのものを一飛びに短絡させる魔力がAKB48にはあり、前田敦子がなぜこのグループのセンターだったのか、彼女の魅力を説明するためにはその魔力を指摘すること以外には難しいだろう。