愛のある批評

あの頃の前田敦子 (2)

人や作品が商品として消費されるとき、そこには抗い、傷つく存在がある。
2021すばるクリティーク賞を受賞し、「新たなフェミニティの批評の萌芽」と評された新鋭・西村紗知が、共犯者としての批評のあり方を明らかにしつつ、愛のある批評を模索する。
「前田敦子はキリストを超えた」と言われたあの頃、何が起きていたのか。

「フィクション」であるがためにあの頃のAKB48をファンは楽しむことができた。「ガチ」と言っても「フィクション」と地続きである。「フィクション」であれ「ガチ」であれ、括弧を外すのはアイドルの卒業以外にありえない。卒業とはアイドルが本当に主体的に生きていくことなのだが、ファンは大抵ここで目を覚ます。ジャニーズを脱退したタレントからは、やはりどうしてもファンは離れていってしまうように。
 そろそろもう少し核心に迫っていくことにしよう。その括弧は、つまり安全なフィクション性は何によって担保されていたか。つまり、グループ内部の彼女たちにも、彼女たちを消費する側にも、言葉が要らない状況をもたらし(宗教的な熱狂とは言葉の不在のことでもある)、関係構築を主体的に生じさせないようにしていたのは、何であるか。
 秋元康の存在に触れないわけにはいかないだろう。あの頃のファンの最も醜悪だった部分は、結局はどのクレームも、その少女を「システム」内部に参入させた、プロデューサーである秋元康へのクレームということになるのに、それぞれ少女たちひとり一人に向けてクレームを浴びせていたこと、つまりファンの都合のいいときだけ彼女たちの「実存」に頼っていたことにあるだろう。先走って言ってしまうと、あの頃の前田敦子への欲求や毛嫌いは、結局は、秋元康への感情と切り離せなかったもののように思う。
 なんでも批判の材料とされてしまっていた彼女だが、たった一人、前田敦子だけへの批判というのは難しい。それは「システム」への批判につながっていき、結局は秋元康への批判に回収されてしまうことだろう。「システム」内部に生きる彼女らに対しては、批判が彼女ら個人に対するものとして完結することはないのではないかと思う。前田敦子とは、そして秋元康とは、ファンにとってはいつの間にか甘えたり内面化してしまうような存在だったのかもしれない。筆者の脳裏には、「母」とか「父」といった言葉が浮かぶ。それは、容易に打ち倒しがたく、打ち倒した途端自分自身も打ち倒れてしまうかもしれないような、そうした規範であるようなもの。AKB48とは、前田敦子を「母」とし(江藤淳風に言うならば、「システム(家)が前田敦子(母)にとって単なる物質ではなく精神の延長」といった具合になるだろうか)、秋元康を「父」とする、そういう「システム」だったのではないか。
 批判がいつのまにか「父」へと回収されてしまう、そうした「母」であること。これが彼女の「見えなさ」の元凶なのだと思う。前田敦子をさしたる理由もなく(言葉のない状態で)毛嫌いするファンがいたとすれば、それはつまるところ、確かにシステム上はどの女の子も選べるのだが、「母」と「父」のせいで、真に「推し」とは二人きりになれないことに気が付いていたからではないか。それは、例えば「推し」と卒業後に交際して結婚するなどし、ファンの側の「ガチ恋」を成就させることでどうにかなる問題ではなかったのではないか。つまり、ファンが「推し」と結ばれないというAKB48最大のアトラクションとは、「父」になる欲求の断念しきれなさや、「母」離れの不可能性という、いかにも古くさい、ほとんどかびの生えたような文芸評論めいた問題設定が、再燃していた現実のことだったのではないだろうか。
 実際、濱野はのちに自らアイドルプロデューサーになり、小林よしのりは前田の卒業に際し、「わしはいつの間にか甘えていた。依存心だな、これは。 安心しきっていた」(小林よしのり『ゴーマニズム宣言SPECIAL  AKB48論』21頁)と、書き残していたのであった。(つづく)

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