鈴木家の箱

乳房縮小術

胸をとる決心をしたまみこさん。「日本人では珍しいレベル」の乳房肥大は、思ったより大手術になりました。

 だんだん麻酔が切れてきて胸のあたりがゴウゴウ燃えてるようで火事のように熱い。言葉が出せないくらいの痛みだった。
 看護師さんがナースコールとは別に謎のボタンを渡してくれて、「痛みに耐えられなくなったらこれを押してください」と言い残して去っていった。海外ドラマで見るやつだ。このボタンを押すと自動で麻酔が追加される仕組みになっているやつだ。
 限界まで我慢しようと思って、痛みを紛らわすために息子や友達とカタコトで話した。痛みで普通に話すのが難しかった。息子は「ママこれお守りだよ。頑張ってね」と言っておもちゃのネックレスを私の手に握らせた。
 しばらくすると痛みが限界に達し、禁断のボタンを一度押してみた。
 なんとも言えない不快感が身体中をかけめぐり、胃が逆流して何度も吐きそうになった。頭の中がぐるぐるして何かを押し出そうとする。身体中に虫が這う感覚がしたが、そんなこと気にならないくらい脳から胸から胃から、何か悪いものを押し出して口に到達してきた気がした。でも吐くことができず、ただひたすらえずいていた。
 しばらくするとふっと身体が軽くなり、一瞬楽になる。楽になると話す元気が出て友達に「これヤバイ……ヤバイ薬……」と口から言葉をひねり出した。
 楽になった次はなんか全身がムカムカソワソワして暴れ出したいような衝動が来て、私は息子からもらったお守りのネックレスを左手でぎゅっと握り、右手でそれを何度もしごいた。何か感覚がないと気持ち悪さに埋もれて溺れてしまう、そんな状態だった。
 それを見ていた息子と旦那は「なんか大変そうだから帰るわ。あとはよろしく。頑張ってねー」と友達に軽く言い残して帰っていった。「待って、行かないで」叫んだけど声にはならなかった。

 友達は一人付き添いに残ってくれた。「大丈夫だよ。明日には治るからね。」ともがいている私にずっと話しかけてくれた。持つべきものは冷たい旦那ではなく優しい友達だ。友達って素晴らしい。友達最高。友達がいればいい……と心のなかで何度も呟いた。
 そんなこんなのうちにまた胸の当たりが燃え出した。痛い、熱い、死ぬ! 耐えられない、耐えられない!
 どうしても耐えられなくなった私はまたボタンを押した。
 押した途端にまた全部の何かわからない逆流が始まり、また何度も何度もえずき、頭がぐるぐるして恐ろしい世界に入ってしまう恐怖が襲ってきて、もう二度とボタンを押さないと心に決めた。
 また一瞬楽になるとろれつのまわらない口で友達と話し、ネックレスを握りしめながらしごき、今度はさっきよりも早くまた胸の激痛に襲われ、耐えられなくなってもう二度と押さないと決めたボタンを押して、また気持ち悪さが襲ってきての繰り返しだった。
 行くも地獄、行かぬも地獄とはこのことだ。どっちを選んでもつらい無間地獄だった。逃げたい……どうにかなりたい。意識なくなりたい。痛くて苦しくて身体中がうずいて暴れ出したかった。
 でもまったく動けないので見た目はごく静かだったのだ。私の中だけで起きている地獄。戦いは孤独だった。

 消灯の時間をゆうに過ぎ、深夜2時頃になって、さすがに帰ってくださいと友達が看護師さんに言われた。何度か無視してそのままいてくれたのだが、3回目に言われたときに「もう大丈夫だから帰って」と蚊の鳴くような声で友達に伝えた。友達は心配そうだったがさすがに帰ることにした。こっそり持ち込んでいた入眠剤を私の口にいれてと最後のお願いをした。
 友達は「これ飲んで大丈夫なの?」と心配していたが、それを飲めないなら死ぬくらいの気持ちだったので懇願して入れてもらった。とにかく麻酔のボタンを押したくなかったので、眠りたかった。
 友達が帰ったあとも私の苦しみは続いたが、入眠剤のせいか少し頭がぼーっとして、痛みが薄らいだ気がした。それでも痛いので眠れはしなかったが、麻酔のボタンは押さずになんとか朝まで痛みと戦いながらネックレスを握りしめて持ちこたえた。
 朝日が昇ってきた頃、私は知らないうちに眠りについていた。

2023年4月13日更新

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連載目次

鈴木 麻実子(すずき まみこ)

鈴木 麻実子

1976年、鈴木敏夫プロデューサーの長女として東京で生まれる。様々なアルバイト経験を経て美容サロンのマネジメント業につき、店舗拡大に貢献する。
その傍ら映画「耳をすませば」の主題歌「カントリー・ロード」の訳詞、平原綾香「ふたたび」、ゲー厶二ノ国の主題歌「心のかけら」の作詞を手掛ける。
現在は1児の母となり、父である鈴木敏夫をゲストに招いたオンラインサロン「鈴木Pファミリー」を運営する。