鈴木家の箱

乳房縮小術

胸をとる決心をしたまみこさん。「日本人では珍しいレベル」の乳房肥大は、思ったより大手術になりました。

 目が覚めると昼になっていて、昨日の痛みは明らかに一段軽くなっていた。私の手にはしっかりネックレスが握りしめてあり、そのままかたまってしまったようで、グーの手を開くのが大変で、昨夜の苦しみがどれほどのものだったかを物語っていた。
 しかしゴウゴウ燃えていた胸は、ズキズキする痛みくらいまでは収まっていて、立ち上がることもできた。1日でこんなに変わるなんてすごいと思って感動した。
 担当医と女性医師が検診に来て、私のぐるぐるの包帯をハサミで切ると、中から血まみれでテープまみれのおっぱいが現れた。小さくなったような気もしたが、まだわからなかった。
 担当医は「取れる箇所は全部切除しました。これが限界です」と言った。胸の上のほうは普通に大きかったので先生に聞くと「下部分しか取れないから。全体的にすごく大きかったのでここは残るよ」と説明してくれた。かなりの小胸になれると想像していたので少し残念だった。
 しかし、鏡の前で横を向いてみると、明らかにとんがっていた部分がなくなって丸い胸になっていて感動した。

 その日の夜、鏡でいろんな角度から自分の胸を見た。早く血まみれがなくなった胸を見てみたい。ティッシュを水で濡らし、テープの隙間からのぞいてる肌の部分の血をこまかく拭いた。テープに血が染み込んでいるので全体像はわからないが、少しだけ血まみれの物体からおっぱいに見えてきた。
 しかし、昨日は痛みでわからなかったけれど、テープの部分がめちゃくちゃ痒くてたまらない。傷があるからなのか、昨日お風呂に入っていないからなのか。とにかく痒いのでふきまくっていたらテープが剝がれて、胸を縫っている糸が現れた。どうやらこの糸が肌を引っ張っているから痒いらしい。糸の部分を爪でひっかくと、黒い糸がポロッと取れた。
 「え、取れる!」とびっくりして、私は調子に乗ってどんどんテープを剝がし、糸を取った。糸を取ると痒みがなくなる感じがして気持ちよかった。取れる場所の糸を全部取って、ちょっとスッキリしてその日は眠りについた。

 次の日検診に来た担当医にめちゃくちゃ怒られた。「なんで糸取ったの? 傷口開いちゃってるよ!」と言われ、私は勝手に抜糸をしてしまったことを知った。
 すぐに縫い直すことはできないから、しばらくテープで補強して傷が落ち着いたらまた縫おうと言われて、また手術するのか……と落ち込んだ。自業自得なのだが。それから小さいテープを傷口が開いているところに傷と傷をくっつけるように垂直に、何十枚も貼り、その上からまた大きいビニールテープのようなものでグルグルに巻かれた。もう触ることはできなかった。
 それから日を追うごとにどんどん痛みは軽くなり、3日後くらいには違和感なく普通の生活ができるようになった。たまにかがんだりして刺激があると痛いくらいだ。前とは全然違う。
 普通に歩けるようになった私はお見舞いに来てくれた友達と休憩ルームに行ったり、部屋で本を読んだりしてゆっくり過ごした。楽しみはご飯だけだったが、その病院の食事はけっこう豪華だったので美味しかった。
 退院の日にすべてのテープが取り除かれると、血まみれだと思っていたのはテープの血で、胸はすっかり肌色だったが、なんだか質感がつるっとしていて人形のような肌だった。傷は特殊メイクのように深くて少し広がったかさぶたのような傷だったが、「これは抜糸しちゃったから本来より太くなってるよ」と言われてしゅんとした。
 これが自分のおっぱいかと、手術後初めて実感したのはそのときだった。

2023年4月13日更新

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連載目次

鈴木 麻実子(すずき まみこ)

鈴木 麻実子

1976年、鈴木敏夫プロデューサーの長女として東京で生まれる。様々なアルバイト経験を経て美容サロンのマネジメント業につき、店舗拡大に貢献する。
その傍ら映画「耳をすませば」の主題歌「カントリー・ロード」の訳詞、平原綾香「ふたたび」、ゲー厶二ノ国の主題歌「心のかけら」の作詞を手掛ける。
現在は1児の母となり、父である鈴木敏夫をゲストに招いたオンラインサロン「鈴木Pファミリー」を運営する。