愛のある批評

「丸サ進行」と反復・分割の生 (2)

人や作品が商品として消費されるとき、そこには抗い、傷つく存在がある。
2021すばるクリティーク賞を受賞し、「新たなフェミニティの批評の萌芽」と評された新鋭・西村紗知が、共犯者としての批評のあり方を明らかにしつつ、愛のある批評を模索する。
丸サ進行のウェルメイド性にもっとも切実に向き合う”ずっと真夜中でいいのに。”が表現する、徹底した逡巡。

3.「ウェルメイド」性を技術的かつ内容的に最も切実に引き受けようとしているのは、ずっと真夜中でいいのに。であるけれども
「丸サ進行」を語るにあたり、ずっと真夜中でいいのに。の存在を無視することはできない。単純に、「丸サ進行」曲の割合が高い。アルバム『潜潜話』には13曲のうち「脳裏上のクラッカー」「勘冴えて悔しいわ」「居眠り遠征隊」「ヒューマノイド」「グラスとラムレーズン」に「丸サ進行」が使用されている。歌詞は時に荒唐無稽な組み合わせをなす言葉で満たされているが、その暗号のような言葉が、実際にどういう人間関係の軋轢から生み出されるか、なんとなく察しが付くようではある。単純なメッセージソングは1曲もない。音楽の工夫もまた、音色が多彩でアレンジも手数が多く、「丸サ進行」でできることは、もはやすべてやり尽くしているように思える。「お勉強しといてよ」と「猫リセット」とでは、オーケストレーションが別物だ。

 哲学・倫理学研究が専門の戸谷洋志は、スマート社会において人々がその社会に参加することで知らず知らずのうちに異質な他人を排除するなどの悪に加担してしまう状況を批判し、そのメカニズムを解明した『スマートな悪』のあとがきにおいて、ずっと真夜中でいいのに。の創作に触れている。この著作においては「ガジェット」という概念が重要な役割を担っている。これは一つのシステムにおいて合目的的に機能するのでなく、複数のシステムに開かれこれを結び合わせていくよう機能する存在とのことだが、筆者は「ガジェット」という概念に着想を得たとき、「ずとまよ」の家電を用いたパフォーマンス、元の文脈を離れた言語使用を思い浮かべていた、という。そして彼らの表現活動の要諦を次のようにまとめている。

 おそらくそれは、閉鎖性への拒否である。何かが、ある特定のシステムのなかでだけ存在し、そのシステムの外側に出ることを許されないという支配への、拒否である。あるいは、あるシステムがその内部に存在するものだけで完結し、その外側から何かがやってくることを拒否するという排他性への、拒否である。彼女の世界を表現するものは、すべて、もともとは別のシステムに属していたもの達だ。そうしたものが彼女の世界にやってくることで、そこで新たな生命を得て、新たな声を発するのだ。そうした世界がありえること、そのように私たちが存在できるということを、彼女の楽曲は訴えているように思える。(戸谷洋志『スマートな悪 技術と暴力について』講談社、2022年、190頁。)

 これは主に、家電を用いたライブパフォーマンスから着想を得た記述であるらしい。他のところにも「楽器へと改造され、誇らしげに音を奏でる家電製品たちは、システムによる支配から自由であることを喜んでいるようにさえ見えたのである」(同書、191頁)とある。確かに、ブラウン管テレビはパーカッションに造り替えられて、ライブで使用されている。だが、「機械油」のライブ映像では「稲妻のレンジ叩け」という歌詞から発想を得てのことか、電子レンジが殴られるシーンがあるが、これについてはどう受け取るべきなのだろうか。それはそれで電子レンジは「新たな生命を得て、新たな声を発する」と見なされ得るものなのだろうか。

関連書籍