世界の「推せる」神々事典

ヴィシュヌ【インド神話】
――世界を内包する悠久の神

神話学者の沖田瑞穂さん新連載『世界の「推せる」神々事典』スタート! 世界の神話に登場する多種多様な神々のなかから【主神】【戦神】【豊穣神】【女神】【工作神・医神】【いたずら者の神/トリックスター】【死神】などなど、隔週で2神ずつ解説していく企画です。あなたの「推し」神、どれですか?! 連載第一回は、インド神話の主神から。

◆世界を司る【主神】/男神

ヒンドゥー教の三大主神の一人。ヒンドゥー教の思想では、ブラフマー神が創造した世界をヴィシュヌが維持管理し、やがて時が来るとその世界をシヴァ神が破壊するとされる。ヴィシュヌはヒンドゥー教よりも古いヴェーダの神話にも現れるが、そこではインドラ神を助けて「三歩をあゆむ」という不思議な特徴を与えられている。ヒンドゥー教に至って力を増し、主神の地位を獲得するに至った。妃神はシュリー、あるいはラクシュミー。仏教で吉祥天として知られている女神である。

◆さまざまな化身として降臨!

ヴィシュヌの特徴は何より多くの化身を有することにある。化身とはサンスクリット語で「アヴァターラ」といい、「降下」の意味である。神が人を救うため、天から地上に降りてくる、ということである。猪、人獅子、亀、こびと、英雄ラーマやクリシュナなど、様々な化身が知られている。

こびとの化身の神話を見てみよう。悪魔のバリが世界を支配していた。ヴィシュヌはこびとの姿になってバリのもとへ行き、「三歩によって覆えるだけの土地をください」と言った。バリは謙虚な願いと思い、喜んで「よかろう」と言った。するとヴィシュヌは一歩目で大地を、二歩目で天を歩み、三歩目をバリの頭において、悪魔の一族を地底に追いやった。

この神話には、「三歩をあゆむ」というヴェーダ以来のヴィシュヌの特徴が反映されている。

◆「私の体内に入って休みなさい」

世界そのものがヴィシュヌ神の内にあるとする神話もある。そこではヴィシュヌは原初の大海に憩い、その体内において世界のすべての営みが展開されている。次のような話だ。

マールカンデーヤという聖仙がいた。彼は非常に長寿の聖仙であった。世界は終末の時を迎えていた。マールカンデーヤは世界が衰退していく様子をすべて見ていた。七つの燃え立つ太陽があらゆる水を干からびさせ、世界は燃やされ灰になる。終末の火サンヴァルタカが世界を焼き、地底界をも焼く。すると多彩な色をした雲が立ち、火を鎮め、世界を水浸しにする。世界は、大海原に帰す。

その大海原を、マールカンデーヤは一人漂っていた。彼は長い間たった一人で漂っていたが、どこにも休むところが見つからなかった。ある時、大きなバニヤンの樹(ベンガル菩提樹)を見た。そこに神々しい椅子があり、一人の童子が座っている。童子は「わたしの体内に入って休みなさい」と言って口を開けた。マールカンデーヤはその中に入っていって、そこに世界のすべてがあるのを見た。月や太陽で照らされた世界、川も海もあり、四つの階級の人々が正しく生活している。神々も聖仙も悪魔たちもいる。百年以上もさまよったが、マールカンデーヤ仙はどこにも出口を見出すことができなかった。そこで偉大なヴィシュヌ神に祈りを捧げると、その口から外に吐き出された。その童子こそ、ヴィシュヌ神その方であったのだ。

ヴィシュヌが世界の始まりの時から終末を迎えた後にも悠久に存在し続ける神であることが語られている。このようにインドの神話、とくにその時間と空間の観念はきわめてスケールが大きく、他の地域に類例を見ない。

◆神や巨人の「中」でわたしたちは生きている

自分が生きているこの世界は、もしかしたら神の身体の内側かもしれない――。私はこの話を読んで、漫画の『進撃の巨人』(諫山創・作)を思い出した。『進撃の巨人』では、人々は高い「壁」の中に住んでいて、外側にいる巨人たちから守られている。しかしその「壁」は、実は巨人の身体そのものからできているのだ。神や巨人の「中」でわたしたちは生きている、という共通点が、インド神話と現代日本の創作に共通している。

(参考文献;上村勝彦訳『原典訳 マハーバーラタ4』、ちくま学芸文庫、2002年)

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