「煩わしい人間関係を頑張ると面白いことが起こる」
先日父と一緒にれんが屋で子育ての座談会をしたときに父が言った一言だ。それを聞いて驚いた。私もまさにまったく同じことを日々感じていたからだ。
いつもたくさんの友人たちと楽しんでいる私を見ると信じてもらえないことも多いのだが、私は本来とても人見知りだ。
自分に子どもができたとわかったときにまず一番初めに思ったのは、喜びよりもなによりも「ママ友とか無理」だった。
私は今までの人生で新しい世界に一人で行くということがほぼなかった。小学校から友達と一緒に中学にあがり中学で友達が増え、またその友達と同じ高校に行って友達が増えて、仕事も全部友達と一緒にやったので、新しい友達を作るときには必ず昔からの友人の助けがあった。
唯一の例外は専門学校だった。初めて一人で飛び込んだ新しい世界ではクラスメイトと会話をすることもままならず、結局一人も女友達を作れないままつまらなくなって退学した。クラスメイトからの私のイメージは「やたら派手な格好をした暗い女」という感じだっただろう。唯一話しかけてくれて連絡先を交換した男の子からは、「みんな話してみたいけど少し恐いって言ってるよ」と言われた。
自分から頑張ってガードを開けばよかったのだろうが、自分のコミュニケーション能力にも不安があった。なんでもすぐに忘れてしまうし何度も同じ話をしてしまう。自分がハートが強いので人が何を言われたら傷つくのかがあまりわからず、デリカシーのないことを言ってしまう。
「ちょっと変わってるけどいい子だよ」とフォローしてくれる友人がいないと、良好な人間関係を作れる自信がなかった。
いつもぬるま湯の人間関係の中で生きてきた私にとって、「ママ友」とは煩わしい人間関係の最たるもので、絶対に自分には無理だと思っていた。努力するのが大嫌いな私は早々に「ママ友を一人も作らず育児をしよう」という決断をしたのだ。
そして息子が生まれ、ママ友を作りたくない私は母親学級にも行かず、出産も個室、区の子どもの遊び場にも一切行かず、近所の公園にはみんなが帰る夕方に行った。
孤独な育児だったのかといえばそんなことはまったくない。私の家には変わらず昔からの友人が連日集まっていて、みんなで育児を手伝ってくれた。息子が四歳くらいのときはワンルームのような狭い部屋に旦那と別居中の友達が二年ほど居候状態だった。毎日ワチャワチャ楽しくみんなで育児をしていたのだ。
そんな毎日だったので、息子の幼稚園時代には一人もママ友ができなかった。幼稚園のお迎えがあるので他のママたちと遭遇することはあったが、会話をすることもなければ名前も知らない。お迎えの順番を並ぶ間、他のママたちが話をしているのを横目に、ひたすらスマホを見て時が過ぎるのを待った。
そこでも私は「やたら派手な格好をした暗い女」だったのだ。幸い息子が通っていた幼稚園は親参加の行事がほとんどなく(そういうところを選んだのだが)、他のママたちとの交流がなくても孤立や不便を感じることはなかった。
そして息子は幼稚園を卒業し、地元の公立小学校に進学した。そこで私は、今までの自分の無努力の結果を思い知ることになる。
初めてクラスの母親たちが一堂に会したのは学期初めのPTAの役員決めの保護者会だった。右も左もわからない、知り合いもほぼいない私は保護者会に行くのが嫌で嫌で仕方なく、吐きそうになりながら行った記憶がある。出席番号順に並べられた子どもの椅子に座り、明らかに仲の良さそうなママたちが盛り上がる中、ひたすら孤独を感じていた。
毎月一度ある公開授業、年1回の運動会や学芸会、これから6年間何度もここに集まるのだと思うと気が遠くなった。PTAだって何をどう決めたらいいかわからない。誰にも聞くこともできず、隣の席のママに「もう決めた?」などとフランクに話しかけられても薄ら笑いでごまかすしかなかった。
免疫のない私は他のママたちとどう会話していいかもわからなかった。「初対面だけどタメ口で話していいのか」「初めて話すときの呼び方は名字にさん付けで合っているのか」なんてくだらないことまで子どもがいる昔からの友だちにいちいちLINEで質問していた。
「これはまずい……」と私は初めて思ったのだ。この状態で6年間は針のむしろだ。今まで努力してこなかったツケがまわってきた。
どうやらクラスのみんなは週末になると友達同士で集まって近所の公園で遊んでいるらしい。学童の帰りのお迎えで会ったママたちもそのままみんなで夕飯を食べに行ったりしている。
親の心子知らずの息子に何度も「僕も行きたい」と言われたのだが「ママ無理だから人前で絶対それ言わないで」と懇願し、お迎えで集まるママたちの間をとにかく目立たないように気配を消して通り抜けていた。
たまに話しかけてくれるママがいてその輪の中に入ってしまったときはつらかった。薄ら笑いで会話に参加しているふりをしていたが、飛び交う先生の名前すら覚えていない私は、みんなが何の話をしているかもよくわからず、疎外感を感じるばかりだった。そんな状態でそこに参加している自分が滑稽で、幽体離脱してまごまごしている自分を遠くから見ているような気分になった。
1年生の公開授業や運動会には、高校の同級生に来てもらって一緒に座った。幼稚園の頃からそうしていたので違和感なくそうするつもりでいたのだが、小学生でそれをやると少し目立ってしまっている感じがした。しかも隣には少し顔の知られた鈴木敏夫も一緒にいる。まわりが少しざわつくのも感じ、なんだかますます孤立していくような感じがした。
「こんな状態で6年間ももつわけがない。何より息子がかわいそうだ。こんな環境は変えなきゃいけない。まずは自分が変わろう。ママ友を作ろう」そう決意するのに、そう時間はかからなかった。
ママ友を作ろうと思ってからは積極的にママたちに話しかけるよう努力したのだが、いかんせんママ友界のルールや距離感もまったくわからない私は、どうやったら友達になれるのかさっぱりわからなかった。
学童のお迎えで会ったときに学校の話や宿題の話をするようにはなったが、友達になれる気配はなかった。誰に何を話したかも覚えていられないので同じ人に何度も「習い事何やってる?」と聞いたかもしれない。そんな手探りで手ごたえのない日々が続いていた。
そんなときにクラスのママたちが集まるランチ会が開催された。噂に聞くママ会だ。自分がそんなところに参加するなんて想像もつかなかったし嫌でたまらなかったが、他のママたちと仲良くなるチャンスだ。行かない選択肢はなかった。
広々したカフェを貸し切り、20人以上のママたちがそれぞれグループに分かれ、席に座った。
私は幼稚園から一緒のママが一人だけいたので彼女と隣の席に座り、なるべく他のママたちとも話そうと努力した。どんな会話をしたのかはよく覚えてないが、旦那の職業とか子どもの習い事とかそんな話だったように思う。あまりにたくさんの人の自己紹介を聞くので全然覚えられず、うっすら上辺だけの会話しかできなかった。
「こんな感じで友達になれるのかな? この距離感がママ友ってやつなのかな?」どれが正解かもわからず、手ごたえもないまま流れに身を任せていた。
そんな中、トイレに行くときに、トイレの近くに三人で座っていたおしゃれなママたちに目がいった。その中の一人のママは茶髪のボブにタンクトップにオーバーオールを着ていて、タンクトップからTATOOがはみ出していた。初めてのママ会にTATOOを隠そうともしない彼女の潔さに魅かれて、友達になりたいと思った。
トイレに行くついでに勇気を出して「隣座っていい?」と話しかけ、座らせてもらった。口から心臓が飛び出しそうなくらい緊張していたが快く受け入れてくれたのでホッとしたのもつかの間、私が緊張していたせいか会話もままならず一人でしゃべりまくって空回り感もいなめず、即撃沈。自分から座ったくせにものの数分で退散した。