母は死ねない

特集対談:「かくあるべき」家族の形に抵抗する(後編)
河合香織『母は死ねない』(筑摩書房)×武田砂鉄『父ではありませんが』(集英社)

様々な境遇の母親たちの声を聴き取ったノンフィクション『母は死ねない』を刊行した河合香織さんと、“ではない”立場から社会を考える意味を問う『父ではありませんが』を刊行した武田砂鉄さん。タイトルだけならば視点の異なる二冊のようにもみえますが、「家族とはこうあるべき」「人間はこう生きるべき」といった他者からの圧力、視線、呪いのような言葉たちから自由になろうという信念によって書き手二人の問題意識は通底します。人生における「べき論」をほぐす真摯な対談、後編です。


 

来るかもしれないタイミング

河合:改めて、「親である」人たちだけではなくて、「親ではない」人に対する圧があるのだと武田さんの本から気づけたことは大きかったです。

武田:自分の中にどこか戸惑いというか、「本当にこのままでいいんだろうか」っていうのはあると思うんですよね。「自分はもうこの感じで」とか言いながらもその声がちょっと震えてる矛盾点があるのかもしません。これから10年15年後の年齢で実子ができるかと言ったら、そういうことはなかなかないでしょう。様々な制限を考えた上で、自分たち夫婦はいま「子供が欲しい」とは思っていないんです。だけど、河合さんが東日本大震災のときに「子供が欲しい」と思ったように、「欲しい」となる瞬間が、もしかしたら自分たちにも訪れるかもしれない。それが15年後ならば、かなり動揺はすると思う。そういったことは起きない、と今の段階で断言することはできない。その不安というのか揺らぎがゼロになることはないんだと思います。

河合:それはやっぱり、「子供がいるのが普通」っていう価値観が刷り込まれているのか……その感覚もどこかから来た宅配物なんでしょうか。

武田:差出人不明の「母とはこうあるべき」があるように、「父とはこうあるべき」「普通の家族はこう」というものがどこかにあって、もしかしたら、自分はそこに行かなきゃいけないんじゃないかっていう思い……実際、どこ行きゃいいの?って感じではあるんですけど、自分は「普通の家族」が到達すべき場所には行かないんだな、でも、いつか行きたくなるかもしれないんだな、みたいな感じがわずかに残ってはいるのかもしれません。

河合:それは社会的な……少子化対策などが叫ばれているせいなのか、それとも、もうちょっと根源的な感覚からなんですかね。あるいは、親からすり込まれていたり?

武田:自分の体の中を成分分析したら、理由はいっぱいあると思うんですよね。少子化対策が喫緊の課題だとかって言われると「いいよ、関係ないよ」と言いながらも、どこかから何かが染み出てこっちに入ってくる、みたいな感覚もあるんだと思います。だから、こうして本ができて、自分の外に本がある状態になると、ほう、こういう本を出してしまっていいのかな、とも。

河合:父になったらかわるかもしれない?

武田:父になったら、というより……ここに書かれている揺さぶり、揺れている感じっていうのはもちろん嘘ではないんですけど、ここから1年2年経てば、その時に考え方が変わってくるのかもしれないなって。

河合:今まで書かれてきたものの中でも、他の考えはそこまでグラグラしないんじゃないですか? 

武田:そう思いますね。本の中でも繰り返し書いていますけど、人生一回目なんですよね。それなのになんでみんなこんなに堂々としていられるのかと思ったりします(笑)。

 

関連書籍

河合 香織

母は死ねない (単行本)

筑摩書房

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