◆世界を司る【主神】/男神
古代エジプトの人々にとって、太陽は創造の力であり同時に破壊の力でもあった。太陽は多くの名を持ち、それぞれ意味がある。太陽円盤としてはアテンであり、昇る太陽としてケプリであり、太陽が空の頂点に至るとラーであり、ホルスとも呼ばれた。太陽が老人として沈むとき、アトゥムと呼ばれた。太陽は毎夜天空の女神に吞みこまれるが、次の朝には彼女の子として再生すると考えられていた。
◆原初の創世の神・ラー
ヘリオポリスという都に伝わる創世神話によると、アトゥム=ラーは原初の存在であった。混沌から立ち上がったラーは、まずは自分の立つべき場所として、岡を足元に作った。あるいは彼は、原初の水の中で睡蓮のつぼみの中から立ち上がったともいう。彼は唾を吐いて息子のシュウを創り、嘔吐することで娘のテフヌトを産んだ。シュウは大気であった。
ラーは天空では十二の洲をめぐりながら移動し、地下に潜ったときにも十二の洲をめぐる。そこで彼は永遠の敵である蛇のアペプと対決する。また地下の十二の洲では時の女神が門の開閉を司るとされた。多くの怪物が棲む地下の世界を旅し、地下の第十二洲に至ると、ラーは蛇の身体を通り、蛇の口から生まれてきて、天空へと顔を出すことになる。
ラーが原初の水の中で睡蓮のつぼみから立ち上がったとする神話は、インドの神話で、創造神ブラフマーがヴィシュヌ神の臍から生えた蓮の花の上に生まれることに通じる。水の上で花を咲かせる睡蓮や蓮は、水によって表現される原初の時に生まれた最初の生命の土台として、ふさわしいと考えられたのであろう。なお睡蓮はスイレン目スイレン科、蓮はヤマモガシ目ハス科であるので、種類としては異なる花である。
◆言葉の力を操る女神
ラーの「真の名」に関して、このような神話がある。
イシスは言葉の力を持つ女神であった。ある時彼女は土で蛇の形を作り、それをラーの通るところに仕掛けた。そのときラーは年老いてよだれを垂らすようになっていた。ラーがそこを通ると、蛇は彼を嚙んだ。蛇の毒がラーの身体を苦しめ、他の神々も集まって悲しんだ。そこにイシスがやって来て言った。「わたしは言葉の力であなたを癒すことができます。あなたの本当の名、隠された名を教えてくだされば、蛇の毒を治めましょう。」
ラーはますます毒に苦しみ、ついにイシスに自分の本当の名が伝わるようにした。彼女が「毒よ消え去れ」と言うと、ラーは蛇の毒から解放された。
こうしてイシスは大女神となった。
太陽神ラーは天空に君臨する大神であるが、地下にあっては宿敵の蛇アペプに狙われ、また「老い」に襲われ、イシスの仕掛けた蛇の毒にも襲われる。太陽の神は毎日われわれを照らし闇から救うが、彼自身は常に苦しみの中にあると神話は語るのだ。
イシスはこの神話の中で、言葉の力を操る女神とされる。言葉を力あるものとしてとらえる神話は多い。日本では言霊信仰がある。たとえば原初の女神イザナミが人間に死の宣告をするのも言葉の力によるものである。インドではバラモンの言葉が重視される。あるいはインド叙事詩『マハーバーラタ』では母の言葉が絶対であるとされ、そのために主人公の五人兄弟の王子たちは一人の妻を共有することになった。
◆各地に見られる太陽への信仰
ラーは船に乗って空と地下の世界を航海するとされている。これを「太陽船信仰」という。ヨーロッパの先史時代や、南海地域、そして日本にも同様の信仰がある。これに対するものとして、太陽が馬車に牽かれて空を渡るとする「太陽馬車信仰」というものもある。中国やインド、ギリシアなどに見られる。
(参考文献;ヴェロニカ・イオンズ著、酒井傳六訳『エジプト神話』青土社、1991年。
矢島文夫『エジプトの神話』ちくま文庫、1997年)