世界の「推せる」神々事典

アテナ【ギリシア神話】
――戦・正義・機織りの女神

神話学者の沖田瑞穂さん連載! 世界の神話に登場する多種多様な神々のなかから【主神】【戦神】【豊穣神】【女神】【工作神・医神】【いたずら者の神/トリックスター】【死神】などなど、隔週で2神ずつ解説していく企画です。あなたの「推し」神、どれですか?! 今回はギリシア神話の戦神から。

◆勇猛果敢な神々【戦神】/女神

母神なしに父神である最高神ゼウスの額から生まれた女神アテナは、古代のギリシア人男性市民が女神に何を求めていたのかをよく表わしている。アイスキュロスによると彼女は「母胎の闇に身の養いを受けたことがなく」、「よろずにつけ、男性の味方」、「結婚の相手にはならない」、「心底、父親側」である。

鍛冶の神ヘパイストスとの間に通常の性行為によらずに一子エリクトニオスをもうけている。正義と戦争の女神であるが、機織りなど女性の手仕事の守り神でもある。古くは蛇と一体化した蛇女神であった。

◆父ゼウスの額から、武装した姿で生まれた

アポロドロスによると、アテナの誕生は次のようであった。ゼウスは女神メティスと交わり孕(はら)ませたが、すぐに彼女を吞みこんでしまった。大地の女神ガイアが、メティスから生まれる男子が天空の支配者になるだろうと予言したからである。ゼウスは王の地位を奪われるのを恐れて彼女を吞みこんだのだった。メティスが孕んだのは女児であった。誕生の時がくると、プロメテウスが、あるいはヘパイストスがゼウスの額を斧で撃って、そこからアテナが成人し武装した姿で誕生した。

ゼウスが単独でアテナを生んだのに対して、ゼウスの妃ヘラは単独でヘパイストスを生んだが、このヘパイストスはアテナと異なり、ギリシア神話の中ではコミカルな役割を与えられている。女神が単独で生んだ神は、男神が単独で生んだ神よりも、低い評価を与えられているという図式だ。

◆処女にして母なる女神

アテナは処女にして母という矛盾した性格を持たされている。それはアポロドロスによると次のような話であった。アテナは武器を造る目的で鍛冶の神ヘパイストスの所に赴いた。ところが彼は妻アプロディテに棄てられていたので、アテナへの欲情の虜となり、女神を追いかけ始めた。女神は逃げた。ヘパイストスがどうにか彼女と交わろうとしたとき、アテナが応じなかったので、彼の精液が彼女の脚に落ちた。女神は怒って羊毛でこれをぬぐって地に投げた。そこから一子エリクトニオスが誕生した。

処女にして母なる女神といえば、日本神話のアマテラスが同じ役割を担っている。キリスト教の聖母マリアもこれに当てはまる。いずれにせよ男性の想像力の産物であろう。女性自身の中からは、「処女母神」という表象は出てこないものと思われるからだ。ネパールの生き神クマリも処女神であり、母神と同一視されるものであるが、これはアテナやアマテラスとは少し範疇がちがうかもしれない。

アテナはさまざまな英雄を助ける戦の女神であるが、同時に糸紡ぎ、機織など羊毛を用いた女性の手仕事を守護する。アテナ自身も機を織る。アラクネという人間の少女と機織り競争をした話が名高い。アテナはまた職人の守護者で、戦車、馬の手綱、船、トロイの木馬などの発明者とされる。いずれも「文化」に関わるものである。

◆「最高の女神」アテナと「最初の女」パンドラの対比

アテナは古代ギリシアの男性にとって「最高の女神」の位置づけにあるが、これと正反対の位置にあるのが「最初の女」パンドラである。古代ギリシアにおいて、女とは神々が人間にもたらした「美しき災い」であり、男たちとは異なる存在と考えられていた。

パンドラは、ゼウスの命令でアテナとヘパイストスを中心とした神々全員の力でつくり上げられた。同じアテナとヘパイストスのペアから生み出されたエリクトニオスは、アテナイ市民の祖として栄光に満ちているが、パンドラは、男たちに苦しみをもたらす悪の存在とされ、エリクトニオスとは正反対の価値が与えられている。

古代ギリシアは華やかな文明を栄えさせたが、巨大な欠点が二つある。奴隷制と、女性蔑視である。そのような文明の中での女神信仰の在り方のひとつを、アテナという女神が示していると考えられる。

(参考文献;松村一男『女神誕生 処女母神の神話学』講談社学術文庫、2022年)

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