◆勇猛果敢な神々【戦神】/男神
戦の神。同じ戦神のアテナとは対照的な性質を示し、血を好み粗野である。トロイ戦争においてはトロイ方を応援したが、あまり力は発揮されなかったようだ。ローマにおいてマルス神として主神に勝るとも劣らない尊崇を受けた。
◆美と愛の女神アプロディテとの情事
ギリシア神話におけるアレスは、あまり高い評価を受けていなかったようである。トロイ戦争においては、人間のディオメデスに傷つけられ、大声でわめきながら天界に逃げ帰り、父神ゼウスに訴えたのだという。母はヘラであるから、アレスは天界の王と王妃の嫡男ということになる。その地位の高さに反して、性質は粗野であり、神格としても重要視されなかった。
アレスの妻はアプロディテとされることもあるが、むしろアプロディテの愛人としてのアレスの立場を語るものの方が有名であろう。ホメロスによると、アプロディテの夫は鍛冶の神ヘパイストスであったが、彼は足が不自由で醜い神であったので、アプロディテは夫を愛さなかった。そしてアレスを愛人として、夫の留守に夫婦の寝台に連れ込むのであった。
あるとき太陽神の告げ口で、ヘパイストスは妻の不義を知ることになった。すると彼は、蜘蛛の糸のように目に見えない糸で巧みにこしらえた網を作り、気づかれぬよう寝台に仕掛けておいた。何も知らない妻と愛人が寝台に腰かけると、たちまち罠にかかって、どうあがいても抜け出すことができなかった。ヘパイストスはオリュンポスの神々を証人として呼び集めた。男の神々は、こんな目にあっても、美と愛の女神であるアプロディテと共寝できるアレスを羨ましがったのだという。
◆アレスの子孫たち
アレスの子は多く知られている。アプロディテとの間には「恐怖」のデイモス、「敗走」のポボス、女神ハルモニアが生まれた。愛の神エロスが彼らの子とされることもある。女性のみの部族として知られるアマゾン族も彼らの子とされる。
アレスはローマの神話ではマルスとして現われる。マルスはトロイの英雄アイネイアスの子孫にあたるレア=シルヴィアと交わって子を産ませた。その子らが双子のロムルスとレムスで、後にロムルスがローマを創建することになる。アレスはマルスとして、ローマでは最高神ユピテルをしのぐほどに尊崇された。
◆ギリシア神話と「三機能体系説」
ギリシア神話にはアレスとアテナという二人の戦神がいることになっている。この二神は、面白い構造を示している。その構造について理解するために、フランスの比較神話学者デュメジルの名高い「三機能体系説」を説明したい。ギリシアを含むインド=ヨーロッパ語族の神話や社会は三つの区分により構成されていると考えられた。それぞれ第一機能、第二機能、第三機能と呼ぶ。第一機能は王権と聖性、第二機能は戦、第三機能は美と豊穣を、それぞれ管掌している。するとアレスとアテナは、どちらも戦神であるので第二機能の神であると言える。
デュメジルの学説をさらに説明すると、それぞれの機能は、相補い合う二柱の神によって本来構成されていたと考えられる。つまり第二機能に関していうと、二人のうち一人は第一機能に近い性質を示し、もう一人は第三機能に近い性質を示すのだ。
これを前提としてもう一度アレスとアテナを考えてみると、アレスは美と豊穣の女神であるアプロディテと夫婦、あるいはその愛人であるので、第三機能に近い。他方のアテナは、父神であるゼウスと親しく、常に父の側について行動するため、王権を表わす第一機能に近い。
デュメジルは、インド=ヨーロッパ語族の原神話を再構築する研究の中で、ギリシアの神話はそれほど重視しなかった。ギリシアの神話には特有の発展があったとみなしたようである。しかしながら、このアレスとアテナの構造のように、細かいながらも重要な、インド=ヨーロッパ語族の共住期に遡る古い要素が発見できるのだ。
(参考文献;呉茂一『ギリシア神話〈新装版〉』新潮社、1994年)