◆勇猛果敢な神々【戦神】/男神
古いヴェーダの神話で華々しい武勲を立てた英雄神である。ヴァジュラ(金剛槌)の打撃によって宿敵である蛇のヴリトラを退治し、雨水を解放した。インドラの生まれは複雑である。インドラの母は長く彼を妊娠してのち生み落し、すぐに捨てた。これは神々や、あるいは父から彼を守るためであったようだ。
ヒンドゥー教では、ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの三神が主神として力を持つようになり、インドラの地位は相対的に低くなった。その結果、彼の力に余る事態をこの三神が解決するという話が多く語られるようになった。
◆怪物ヴリトラを退治する
インドラの活躍する話として、『マハーバーラタ』に記されるヴリトラ竜退治が名高い。
工作神トヴァシュトリはインドラを害するためにヴィシュヴァルーパという名の三つの頭を持つ息子を作った。ヴィシュヴァルーパの激しい苦行に恐れをなしたインドラは、ヴァジュラ(金剛槌)を投じてヴィシュヴァルーパを殺した。その身体は死してなお輝きを放っていた。インドラは近くを通りかかった樵(きこり)に命じて、ヴィシュヴァルーパの首を落とさせた。樵がためらいながらも頭を切り落とすと、三つの頭のそれぞれから鳥が飛び立った。インドラはその頭を持って喜び勇んで天界へ帰った。
インドラがなぜわざわざ樵にヴィシュヴァルーパの首を落とさせたのかというと、ヴィシュヴァルーパはバラモンであり、バラモン殺しの罪はあらゆる罪の中で最も重いとされる。神々にとっても避けるべきことであったのだ。
続きを見ていこう。
トヴァシュトリは復讐のため怪物ヴリトラを創造した。インドラとヴリトラは長い間激しく戦っていた。勝敗がつかないのでインドラは一旦退却し、ヴィシュヌに相談した。ヴィシュヌは助言を与えた。ヴィシュヌの方策に従ってインドラはヴリトラに和平を提案した。
ヴリトラは条件を出した。「乾いたもの、湿ったもの、岩や木によっても、兵器によっても、ヴァジュラによっても、昼も夜も、インドラと神々は私を殺してはならない」。神々はその提案を受け入れた。
しかしインドラは常にヴリトラを倒す方法を考えていた。ある日の明け方(あるいは黄昏時)に、ヴリトラが海岸にいるのを見て、ヴィシュヌの予言を思い出した。今は昼でも夜でもない、今こそヴリトラを殺す時だ。そう思っていると、海に山のような泡があるのを見た。インドラはその泡をヴリトラに投じた。ヴィシュヌが泡に入り込んでヴリトラを殺した。
◆工作神の役割
インドラに敵対するヴィシュヴァルーパやヴリトラを作り出したのが、工作神トヴァシュトリであったことには意味がある。工作の神は、インド=ヨーロッパ語族の神話において、英雄に通過儀礼を授ける役割を果たすからだ。また、ヴィシュヴァルーパの首をはねたのが「樵」であったことにも重要な意味がある。樵は、工作の神に近い「職人」という位置づけにあるが、怪物退治には英雄の武力だけでなく、職人の専門的技術も必要とされるのである。
プラーナと呼ばれるインドの宗教文献には、インドラに関するこのような神話がある。
インドラは立派な宮殿を作るため、工作の神ヴィシュヴァカルマンに宮殿の建築をゆだねた。ところがインドラの要求はどこまでも増大し、より立派な宮殿を求めるばかりであった。ヴィシュヴァカルマンはヴィシュヌに助けを求めた。ヴィシュヌは少年の姿になってインドラのもとへ行き、この世の儚さと、神であっても命の短いことを思い知らせた。インドラは反省してヴィシュヴァカルマンに謝礼を払って宮殿を去らせ、以降、立派に神々の王としての務めを果たすようになった。
インドでは神々ですら儚い命を生きているのだ。それを超越しているのは、ヴィシュヌとシヴァのみなのである。
◆現代の映画にも「インドラ」が……
2015年に公開され日本でも大ヒットしたインド映画『バーフバリ』シリーズに、「インドラ」の名を持つ親子が出てくる。主人公のアマレンドラ・バーフバリと、その息子マヘンドラ・バーフバリだ。「アマレンドラ」は「アマラ・インドラ」で「不死なるインドラ」の意、「マヘンドラ」は「マハー・インドラ」で「偉大なるインドラ」の意になるのだ。この映画の主人公たちは、古の神々の王の名を頂いている。
(参考文献;上村勝彦『インド神話』東京書籍、1981年)