◆勇猛果敢な神々【戦神】/男神
『古事記』によると、原初の神イザナキが子供である火の神カグツチの首を斬った時、その血が石につき、そこからタケミカヅチが生まれ出た。武神、とくに剣の神である。天界の天の安の河の上流に住み、「国譲り」神話以前では、他の神々とは交流がなかったとされる。
◆「国譲り」神話における活躍
彼が活躍するのは、アマテラスとタカミムスヒの主導による「国譲り」神話においてだ。その神話を見てみよう。
アマテラスは容易には従おうとしない地上の神々を制圧するため、タケミカヅチを葦原中国(あしはらのなかつくに)に遣わした。タケミカヅチは出雲の伊耶佐(いざさ)の浜に降りて来て、剣を抜いて波頭に差し立てて、その剣の切っ先にあぐらをかいて、地上の主オオクニヌシと向かい合い、葦原中国をアマテラスの息子に譲るように求めた。オオクニヌシは自分では返事をせず、息子のコトシロヌシに答えさせた。コトシロヌシは、この国はアマテラスの御子に譲りましょうと答えた。
するとそこに、オオクニヌシのもう一人の息子タケミナカタが、千人でなければ動かせないような大きな岩を持ってやって来て、タケミカヅチに力比べによる競技を申し出た。まずタケミナカタがタケミカヅチの手を摑むと、その手が氷柱に変化し、次に剣の刃に変化したので、タケミナカタは恐れて引き下がった。
次にタケミカヅチがタケミナカタの手を掴むと、葦の葉を掴むように握りつぶしてしまった。タケミナカタは遠く諏訪の地まで逃げていき、追いかけてきたタケミカヅチに、決してその地を離れないことを誓い、オオクニヌシとコトシロヌシに従って、葦原中国をアマテラスの御子に譲ることに同意した。このあとオオクニヌシも国を譲ることに同意した。
◆対立する戦士像の類型
吉田敦彦と平藤喜久子によれば、タケミカヅチは主神アマテラスの命令に従う文明的な戦士像を体現している。そのタケミカヅチと対立するタケミナカタは野性的な力、とくに腕力によって表わされる戦士の荒ぶる側面を代表している。この点で二人の戦神は対照的なのだ。
このような対立する二人の戦神像は、インドの叙事詩『マハーバーラタ』における二人の戦士、ビーマとアルジュナにも表われている。ビーマは野性的な戦士、アルジュナは王である兄に従う従順な戦士であるからだ。
神話学としては、これはインド=ヨーロッパ語族の「三機能体系説」により解釈が可能である。フランスの比較神話学者デュメジルによると、インド=ヨーロッパ語族の神々の世界は三つの領域に分かれており、第一機能=王権と聖性、第二機能=戦闘、第三機能=生産性、となっている。それぞれの機能は正反対の性質を持つ神や英雄によって分担される。
インド=ヨーロッパ語族ではないものの、日本の神話にもこの構造が当てはめられる。第二機能において、タケミカヅチが文明的な戦士像を、タケミナカタは野性的な戦士像を、それぞれ表わしているのだ。
◆雷神と呼ばれる神々
タケミカヅチの名の中には、「イカヅチ」の語が含まれている。「雷」である。彼は武神にして雷神でもあるのだ。
このような、武神と雷神の両方の性質を持つ神として、北欧のトールが挙げられる。巨躯の戦神であり、雷を象徴するミョルニルと呼ばれるハンマーを持って戦う神だ。
また、インドにはインドラがいる。仏教で帝釈天と呼ばれる神だ。彼もまた、戦神にして雷神であり、得意の武器ヴァジュラはやはり雷を象徴する。自然現象としての雷が人々に荒々しい戦神との関連を想起させたのであろう。
(参考文献;吉田敦彦『日本神話と印欧神話』弘文堂、1974年。
平藤喜久子『神話学と日本の神々』弘文堂、2004年