◆最も恐るべき神々【死神】/女神
原初のときに生まれた女神。男神イザナキと対になっている。この二人が結婚して日本の国土と神々を生んだ。イザナキとイザナミは『日本書紀』でははっきりときょうだいであると書かれているので、この二人の結婚は明らかに近親相姦である。
神話における原初の近親相姦は世界各地にしばしば見られるものだ。イザナミは国土と神々を産んだ「生」の女神であり、人間たちに死の運命を定めた「死」の女神でもあるという両義性をもつ。
◆夫イザナキとの悲しき邂逅
イザナミは日本の国土を産んだのち、多くの神々を産んだが、火の神カグツチを生んだ時に、女性器を焼かれて死んでしまった。夫のイザナキは愛しい妻を一人の子供に奪われてしまったと言って激しく嘆き悲しみ、腰に佩(は)いていた剣でカグツチの頸を切った。
イザナキは死んでしまった妻にどうしても会いたくて、黄泉の国まで追って行った。御殿の戸から迎えに出てきたイザナミに、イザナキは一緒に地上に帰ろうと頼む。イザナミは、自分はもう黄泉の国の食べ物を口にしてしまったから帰ることはできないが、せっかく来てくれたのだから黄泉の国の神と相談してみましょう、と答え、その間決して私の姿を見ないで下さいねと言って、御殿の中に入って行った。しかしイザナキはどうしても待ちきれず、髪に挿していた櫛の歯を一本折って、そこに火をつけて覗いてみると、女神の身体には蛆がたかり、身体のあちこちに雷が出現していた。
驚き恐れたイザナキがあわてて逃げ帰ろうとすると、約束を破って自分の姿を見られたことを恥じて怒ったイザナミが、ヨモツシコメ(黄泉の国の鬼女)たちにイザナキを追いかけさせた。イザナキは身につけていた髪飾りや櫛を投げながら逃げて、黄泉と地上の境にある黄泉比良坂(ヨモツヒラサカ)のふもとまでやって来たとき、そこに生えていた桃の実を三つ取って投げると、黄泉の国の軍勢はことごとく退散した。
◆この世の「死」と「生」の起源に
最後にイザナミ本人が追いかけてきた。それを見たイザナキは巨大な岩を引きずってきて、道を塞いだ。そしてその岩を挟んでイザナキとイザナミは、夫婦の別離の言葉を交わした。イザナミが「私はあなたの国の人々を、一日に千人殺しましょう」と言うと、イザナキは「それなら私は、一日に千五百の産屋を建てよう」と言った。こうして、一日に千人の人が死に、その代わりに一日に千五百の人が生まれることになった。
この話はギリシア神話で楽人オルペウスが死んだ妻エウリュディケを連れ戻そうとする話とそっくりであることが指摘されているほか、黄泉の国で食べ物を口にすると地上に帰ることはできないという「ヨモツヘグヒ」のモチーフが表れている点でも、ギリシア神話の冥府の王ハデスとその妃ペルセポネの話につながる。
日本とギリシアでは地理的に相当隔たっているが、神話には似ているところが多く見つかる。内陸の騎馬遊牧民を介して間接的な文化交流があったためであろうと推測されている。
◆産んだからには……という女神の役割
「口裂け女」の都市伝説はご存じだろうか。1979年に最初の流行があり、その後も何度か話題になった。マスクをした女性が学校帰りの子供に近づいてきて、「わたし、きれい?」と問う。「きれい」と答えると、「これでもきれい?」と言ってマスクを取る。すると、その口が耳まで裂けていた、というものだ。
この「口裂け女」は、渡邉浩司や古川のり子に最初に指摘されたところでは、イザナミに通じるところがある。追いかけ、生命を「吞みこむ」恐ろしい女なのだ。女神は、産んだからにはその生命に最後まで責任を持たねばならない。つまり、死を与える役割も負わねばならない。そのような神話的思考が働いているものとみることができる。
(参考文献;吉田敦彦・古川のり子『日本の神話伝説』青土社、1996年。
沖田瑞穂『怖い女』原書房、2018年)