鈴木家の箱

名古屋の鬼ばばあ

連載、最終回です! 単行本『鈴木家の箱』を、よろしくお願いします。

 私の二人の祖母はとても対照的だった。
 母方の祖母はとてもおっとりしていて優しくて上品で、おばあちゃんというイメージにぴったりな人だった。おじいちゃんには敬語を使い、夫の一歩うしろを歩くような、つつましい昭和の女性の代名詞のような人だった。関東大震災のときに庭の大木につかまり地震がおさまるのを待ったというエピソードがあり、『風と共に去りぬ』のスカーレットみたいだと幼心に思っていた。それもあってか芯の強い女性というイメージがあった。
 そんな祖母がガンを患い入院し、病室にお見舞いに行って顔がパンパンにむくんでいたのを見たとき、私は涙が止まらなくて親戚たちに病室から追い出されたのを覚えている。おばあちゃんの前では泣かないとみんなで約束してお見舞いに行ったのに、いつもニコニコあったかい笑顔で優しかったおばあちゃんが病室のベッドで変わり果てた姿になっているのを見たら、涙がこらえきれなかった。
 その後、親戚の家で、家族で自宅介護をすることになったのだが、おばあちゃんは最後まで自分の下の世話を私たち孫には絶対にさせなかった。「孫に下の世話をしてもらうのは絶対に嫌だ。恥ずかしい」そんな恥じらいとプライドを最期まで貫いた、誇り高き人だった。

 それに対して父方の祖母は、おばあちゃんというイメージとはほど遠い人だった。名古屋に住む祖母に初めて会ったのはいつの頃か記憶は曖あい昧まいだが、物心ついた小学生の頃の記憶では、おばあちゃんはとにかくいつもおじいちゃんの悪口を言っていた。「このクソじじい。〇〇で〇〇なくせにいつも私のことぶん殴りやがって」と、今考えると到底小学生に言うべきではない下ネタを交え、いつもおじいちゃんに悪態をついていた。
 同じ空間にいたくないと言って、家では一階と二階で家庭内別居のような生活をして、家族で出かけたときも同じエレベーターに乗りたくないと言っておばあちゃんだけわざわざみんなと別にエスカレーターで上の階に上がったりして小競り合いをしていたのだが、私からするとその掛け合いが夫婦漫才を見ているようで面白かった。
 おじいちゃんはとても優しくて、孫たちとよく遊んでくれた。名古屋の家にはピロという犬がいて、私は名古屋に遊びに行くといつもピロとおじいちゃんとお散歩に行っていた。おじいちゃんと一緒に手作りの凧を作り、ピロと一緒に大きな凧を追いかけて川辺を走った。
 将棋を教えてくれたのもおじいちゃんだ。歩を覚えるのがやっとだった私は何度かおじいちゃんとの勝負に勝ってガッツポーズをしていたが、今思えばあれはおじいちゃんがわざと負けてくれたのだと思う。私はピロとおじいちゃんが大好きだった。
 そんなおじいちゃんやピロを「クソジジイ! 汚い犬! 私は飼いたくなかった」と口汚くののしるおばあちゃんを私は鬼ばばあだと思っていた。おばあちゃんはおじいちゃんにぶん殴られたといつも訴えていたが、優しくて温厚なおじいちゃんがおばあちゃんをぶん殴ったことがあるなんて、私には信じられなかった。
 そんなあるとき、いつもどんなに悪口を言われても苦笑いでひと言返すくらいだったおじいちゃんが言ったのだ。
 「あれはお前が包丁を持って追いかけてきたからじゃないか」
 それを聞いたとき、私は包丁を片手に鬼の形相でおじいちゃんを追いかけるおばあちゃんを想像して、やはり本物の鬼ばばあだと思った。おばあちゃんは「クワバラクワバラ」と言うのが口癖だったが、「こっちの台詞だよ!」と心の中で突っ込んでいた。
 今まで被害者ぶっていつもおじいちゃんを悪者にしていたおばあちゃん。包丁の事実をばらされてどんな顔をしているのかチラッと見てみると、何事もなかったかのように涼しい顔をして悪口を続けていた。おじいちゃんの完敗だった。

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