◆ものづくりの神々【技巧神・医神】/男神
インド最古の宗教文献『リグ・ヴェーダ』(紀元前1200年頃)に出てくる工作の神。インドラの名高い武器・ヴァジュラを作ったのもこの神である。次第にその本来の性格を離れ、宇宙万物を生み出したのも彼だとされるようになった。しかし別の工作の神ヴィシュヴァカルマンの台頭により、トヴァシュトリは影が薄くなっていく。
◆必殺の武器と三つ頭の怪物を造り出した
『リグ・ヴェーダ』よりも新しく成立した叙事詩『マハーバーラタ』に登場するトヴァシュトリは、理由を書かれぬまま、インドラ神を憎んでいることになっている。彼はトリシラスという三つ頭の怪物を造った。この怪物は一つの口でヴェーダ聖典を学び、一つの口で酒を吞み、一つの口で全方向を吞みこむかのようであった。インドラはトリシラスを惑わせるため、美しき天女のアプサラスたちを彼の近くに送り込んだが、不首尾に終わった。そこでインドラは自ら出向いていき、トリシラスを必殺の武器ヴァジュラで殺害した。トリシラスの死体からは威光が燃え上がり、まるで生きているかのようであった。
その時インドラは、近くに樵(きこり)を見掛け、この樵に「この怪物の頭を切れ」と命じた。樵はしぶしぶながらインドラの命令に従った。インドラは喜んで天界へ去った。
ここでなぜ樵が出てくるのかというと、トリシラスがバラモンだからである。インドのヴァルナ制度と呼ばれる社会階層(カースト制度ともいう)では、バラモン、クシャトリヤ、ヴァイシャ、シュードラがあり、バラモンの地位が最も高い。そのバラモンを殺すことはあらゆる罪の中で最大のものであった。バラモンは古伝承を暗記している。それを語り伝えるのが彼等の役割である。つまりわれわれの価値観に近い言い方をすると、バラモンを一人殺害することは、一つの図書館を焼失させることに匹敵する損失なのである。インドラはその罪を背負いたくなかった。それで卑怯にも樵を使ったというわけだ。
さて、トリシラスの父なるトヴァシュトリは激怒した。そして恐ろしい怪物のヴリトラを創造し、インドラと戦わせた。両者は激しく戦ったが勝敗がつかず、和平条約を結ぶことにした。ヴリトラは条件を出した。「乾いたものによっても、湿ったものによっても、石や木材によっても、通常の武器によっても、ヴァジュラによっても、昼も夜も、インドラと神々は私を殺してはならない」。しかしインドラは主神ヴィシュヌの教えを受け、黄昏時に海岸で、ヴィシュヌの入り込んだ泡を用いてヴリトラを殺害した。
◆息子インドラの通過儀礼
トヴァシュトリはインドラの父と呼ばれることもある。また彼はインドラと不可分の武器であるヴァジュラの作り手でもある。しかし『マハーバーラタ』のヴリトラ退治神話では一貫してインドラを憎む敵の立場にある。このようなインドラとトヴァシュトリの関係の不安定さは何に由来するのか。
一つには、トヴァシュトリがインドラの通過儀礼を執り行う神であった可能性が考えられる。インドラは父ともされるトヴァシュトリを克服し、彼が造った武器で、彼が造り出した悪竜ヴリトラを退治し、一人前の神となって世界に平和をもたらす。英雄神には、試練を課すことによって成長を助ける工作神の存在が必要であるのだ。その観点から考えると、樵の存在もトヴァシュトリに近いものがあるかもしれない。英雄の偉業の助け手として、この樵は重要な役割を果たした。
(参考文献;中村元『中村元選集〔決定版〕第8巻 ヴェーダの思想』春秋社、1989年。
上村勝彦訳『原典訳 マハーバーラタ5』ちくま学芸文庫、2002年)