しかし、本書を執筆していくうちに、意義はそれにとどまらないのではないかと考えるようになりました。
2000 年代以降、中国における社会やコミュニケーション環境の激変に伴う感性や文化の変化が起こっており、それに伴って言語の使用も変化しています。具体的にいうと、この20~30 年間の中国の若者の人間関係において、否定的な感情の吐露が可能かどうかが関係の深さを測る一つの基準となっているのです。さらに、現在の中国はかつてなく深い闇に囚われているように見えます。社会的な不自由さ、経済的な不況、過剰な競争、価値観の一元化など多くの問題を抱え、多くの若者は未来に希望を見出せずに苦しんでいます。にもかかわらず、そのような状況を踏まえた中国語ないし中国文化論の書物はほとんどありません。その意味で、本書の分析する「闇」の中国語を通して、この20~30 年間の中国、ないし近代中国全体の社会心理と文化に対してもより深く、多様に理解することができるはずです。
さらに、それは単に中国という特殊な国についての特殊な知識にとどまらず、中国社会と同じ条件を共有し、同様な困難に直面している私たちの言語、社会、文化に対しても普遍的な啓発を与えるはずです。「闇」にはそのような力があります。
中国の旧満州を舞台とする、小川哲の優れた「アジア」小説『地図と拳』に、「光とは命であるのに対して、闇とは想像力だ」という一節があります。「闇」は存在しないものが新たに生まれ、立ち上がる余地を生み出すものでもあるということでしょう。
本書における「闇」のイメージもまた、「そうではない」あるいは「そうであってほしくない」というネガティブで否定的なものを象徴するイメージであると同時に、「そうではなく、こうであってほしい」もしくは「こうでもありうるはずだ」という、あらゆるものが否定の中で定形を失い、別のつながりと形を獲得し、新たに作られていく想像力と可能性の場でもあります。世界を「闇から眺める」ことは世界を作り変えるための条件に他なりません。
その意味で、本書は語学学習を「闇から眺める」ことで、それをかつてない形でより広い文化論に開き、読者自身の「闇」を通してその想像力を刺激するものでもあります。その目論見がどれほど成功しているかについては読者の判断にゆだねたいと思います。
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