T/S

すべてを演劇にするために、現在(いま)を研ぎすます

『T/S』刊行記念対談

「マームとジプシー」を率いる演劇界の若きトップランナー・藤田貴大さんが自身の演劇論と半生を虚構に託して綴った自伝的フィクション『T/S』の刊行記念として、藤田さんと長年の交友があり、舞台でのコラボレーションも行ってきた歌人の穂村弘さんとその読みどころ、魅力についてぞんぶんにお話しいただきました。

先生と、あるいは年下との付き合い方

穂村 高校のときは、ミュージカル的な演劇をやっていたんだよね。それがちょっと都会で流行ってる風の演劇とは違う田舎の古い演劇みたいに感じる描写があったけど。

藤田 高校の演劇部の顧問で、僕が入っていた地元の劇団も率いていた影山(吉則)先生がミュージカルを演出する先生だったんです。劇団四季との繋がりもある先生で。
 中学校三年生のときに有珠山が噴火して、町にある大きな劇場が避難所になったんです。影山先生が演出するはずだった作品が中止になって、もう一つ小さなホールがあるからそこで代替の公演をしようってことで劇団のなかで話し合って。その、いつもと違う雰囲気の作品を演出したのが山崎(公博)先生って方で。弘前劇場と繋がりのある先生で、高校の演劇部の副顧問もしていた。そのとき初めて、劇中で歌わない演劇に触れて――つまり、会話劇みたいな。山崎先生はとても優しかったんで、稽古場で初めて泣かなかったし、演劇って面白いなと思いました。一〇歳のときから、演劇と言えば歌うことが当たり前で――声変わりもあって、演劇辛かったんですよね(笑)。山崎先生が青年団のビデオを全部貸してくれて、併せて影山先生がオリザさんの著書を全部買ってくれて読んだんです。
 たぶん影山先生は僕に会話劇とかはあんまり見せたくなかったと思うんだけど(笑)。

穂村 なんで先生は見せたくなかったの?

藤田 自分のつくりたいものがはっきりしている先生だったから、自分の演劇のつくり方を僕に叩き込みたかったんだろうし、ミュージカルに触れさせたいって感じだった気がする。僕は高校一年から、影山先生の演出助手でもあったから、とにかく自分たちの作品の話ばかりしていたし。
他の部員たちに対しても、影山先生が注意できないところを注意していくのは僕の役目で、嫌われ役でしたね(笑)。

穂村 先生は才能があったの?

藤田 うーん。どうだろう。そういうふうに先生を見たことがないかもしれない。

穂村 大会で負けて、八時間も泣いたのに。

藤田 才能とかじゃなく、先生が馬鹿にされるのがすごく嫌だったんです。

穂村 たしか内田樹が言ってたと思うんだけど、先生がいるっていうことが大事なんだって。

藤田 地元に帰ると、影山先生とか伊達の人たちが僕のことを待ってくれているんだけど、自然とあの頃のタカくんに戻るんですよね。子役のころって、僕からオトナになにか意見したり話すってことがほとんどなかったから――「話す-聞く」って関係なんですよね。オトナが話してくることを、とにかく聞く。たぶんもう僕のほうが、東京での演劇の時間/経験が長いはずなんだけど、地元に帰ると教え子に戻るし、後輩に戻るんです。でも不思議と彼らの言うことに聞き飽きたということはなくて、何度も聞いたような話でも、その都度、どういうわけか聞き応えがあるんです。

穂村 逆にワークショップとかは別として、藤田さんが教える側に立つ、師弟関係みたいな人はいるの?

藤田 こないだ、TVでSnow Manのラウールさんが、グループでも家族のなかでも末っ子だというようなことを言っていたんだけど、その気持ちがとてもわかってしまったんですよね。というのは、僕も十歳から十八歳まで、劇団のなかでずっと年下だったので、高校の演劇部に入ったとき、初めて後輩という存在ができたんですけど、先輩らしい振る舞いがぜんぜんできなくて。優しい言葉とか一ミリもかけれないし、慕われるのも嫌で(笑)。知らない年下に挨拶されるとか、めちゃくちゃ苦手で。目も合わせれなくて。
 マームとジプシーでも、そうですね。キャストにもスタッフにもだんだん年下の人が増えてきたときに、やっぱり慕いたいとかいう雰囲気を感じると疲れるんですよね。とにかく、慕われたくない。ただ年々、年を重ねるごとに、僕にそういう“通った言葉”を求められているんだろうな、という雰囲気を感じる機会も増えたし、「ある程度年上なんだよな」と自覚を持たなくちゃいけないシーンもあるはあるんだけど――ワークショップのときとかも、参加者からなんとなく先生っぽく扱われるときが、たまにあるんだけど――そういうのを絶妙に、よけて、かわしたいんですよね。上に立ってなにか言うみたいなのって、苦手という以前に意味があるのかわからない部分もあって。僕は先生でもないので、教えてあげれることは何もない、自分で考えてほしい、でも話せるだけ話すよ、みたいな感じで誰とでも話していきたいんですよね。年下気質でずっとやってきたから、抜けない部分がある。

穂村 「ひび」も、どこか微妙にずれてるよね。藤田さん直系みたいな人って、見当たらないような。

藤田 「ひび」みたいな伝え方が、今のところ、ちょうどいいと感じています。なんかああいう直接的になにか技術とかノウハウを伝えるというのではない伝え方で関わっていく、みたいな。「ひび」では特に上と下の関係ではないというところで対話し続けたいので。「ひび」や元「ひび」のみんなのなかからは、現にすばらしい才能が出てきています。

―― 藤田さんの年下性ということで言うと、『T/S』に出てこないものとして、弟さんの存在がありますけど、弟は弟というより双子みたいな感じなんでしょうか。

穂村 たしかに出てこなかった。

藤田 弟は双子というよりも兄貴って感じです(笑)。本当に、なにもかもしっかりしている。
あと、僕が生まれたのは群馬の前橋なんですけど、母の実家が前橋なんで。それも書いてないですね。構想段階で、ここは書かなくていいかなというのは微妙にいくつか決めていて、それが弟のことと群馬のことあたりだった気がします。

穂村 なるほど。素朴な質問だけど、『T/S』で、なんでお母さんは出てこないの?

藤田 直感的に、出さないほうがいいかな、って。最後のシーンで、母親と『オペラ座の怪人』を観るところで終わりたいな、っていうのは漠然と考えていて、そのシーンにテンションを掛けるんだったら、いったん母親がいないって進行にしておいたほうがいいかなと。最初から全体のストーリーはなんとなく浮かんでいて、最終的に父性と母性が交差するようなイメージがあったんです。

穂村 作中では、お母さんはいないし、お父さん寝てるし、弟も出てこない。誰もいないし、恋人にもディスられる。それは、演劇しかないってなるよね(笑)。

藤田 やっぱり僕には演劇しか残らないのかも(笑)。

2024年7月3日更新

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藤田 貴大(ふじた たかひろ)

藤田 貴大

1985年4月生まれ。北海道伊達市出身。桜美林大学文学部総合文化学科にて演劇を専攻。2007年マームとジプシーを旗揚げ。以降全作品の作・演出を担当する。作品を象徴するシーンを幾度も繰り返す“リフレイン”の手法で注目を集める。2011年6月―8月にかけて発表した三部作『かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと、しおふる世界。』で第56回岸田國士戯曲賞を26歳で受賞。以降、様々な分野の作家との共作を積極的に行うと同時に、演劇経験を問わず様々な年代との創作にも意欲的に取り組む。2013年に太平洋戦争末期の沖縄戦に動員された少女たちに着想を得て創作された今日マチ子の漫画『cocoon』を舞台化(2015年、2022年に再演)。同作で2016年第23回読売演劇大賞優秀演出家賞受賞。その他の作品に『BOAT』『CITY』『Light house』『めにみえない みみにしたい』『equal』など。著作にエッセイ集『おんなのこはもりのなか』、詩集『Kと真夜中のほとりで』、小説集『季節を告げる毳毳は夜が知った毛毛毛毛』がある。
(撮影・篠山紀信)

穂村 弘(ほむら ひろし)

穂村 弘

1962年北海道生まれ。歌人。90年、『シンジケート』でデビュー。現代短歌を代表する歌人として、エッセイや評論、絵本など幅広く活躍。『短歌の友人』で第19回伊藤整文学賞、連作「楽しい一日」で第44回短歌研究賞、『鳥肌が』で第33回講談社エッセイ賞、『水中翼船炎上中』で第23回若山牧水賞を受賞。歌集に『ラインマーカーズ』『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』など。