毎日とっても暑いですね。暑いと何もする気がしなくなりますね。働く気なんてなくなりますよね。ずっと家でゴロゴロしながら、海外ドラマを観たり本を読んだりしていたくなりますよね。これはもう、ぜんぶ暑さのせいですね。寒いときもそうですね。雨の日もそうですね。あと、ちょうどいい気温で、ちょうどいい天気のときも、ゴロゴロしたくなりますよね。ああ、働きたくない。
お金はとても大切
お金と仕事とは関係がないのだと僕は繰り返しているけれども、みんなに誤解されないように、あらためて書いておく。
僕は「人生はお金だけじゃないよ」だとか「お金よりももっと大切なものがある」なんてことを言っているわけじゃない。人生においてお金より大切なものは、もちろんある。だけどお金だって大切だ。しかもかなり大切なのだ。
うまくお金を使えば、それまでまるで知らなかったものごとを経験できる。自分自身の内面を変えたり成長させたりすることができる。ときには時間や健康でさえお金で買えることがある。お金は僕たちの人生に選択肢を増やして、未来の可能性を広げてくれる道具なのだ。
僕は、人生には選択肢があればあるほどいいと考えているから、僕の銀行口座にどれだけの大金が振り込まれても困らない。困らないのに誰も振り込んでくれないから困る。僕はこんなにお金が好きなのに、お金のほうはあまり僕のことが好きじゃないようなのだ。ああ、お金と両想いになりたい。
前にも書いたけれども「やりがいがあれば、お金なんかなくても平気だよ」なんてことを言う大人がいたら、すぐにその場から立ち去って欲しい。彼らはみんなを自分に都合よく操ろうとしているだけだからね。
お金で変わるものはある?
さて前回、僕はお金をたくさんもらおうと少なかろうと、僕の仕事は変わらないと書いた。たくさんもらえたら嬉しいけれども、お金によって仕事の態度は変わらないと書いた。さあ、そこに質問が飛んできたのである。
「たくさんお金をもらえる仕事とあまりお金がもらえない仕事があった場合、やっぱりお金をたくさんもらえる仕事を優先するんじゃないですか?」
これはなかなか鋭い質問だぞと僕は思った。あ、そうかもしれないと思ったのだが、はたして実際にはどうだろうか。
世界に何かを付け加えた結果としてお金が払われると僕は思っているわけだけれども「グへへへ、鴨さん、今回はたっぷり払いますぜ」と前もって言われたらどうだろう。それはかなり嬉しいかもしれない。ついニヤニヤしちゃうかもしれない。僕も釣られて「グへへへ」と言っちゃうかもしれない。みんなだってそうなるだろう。なるに決まっている。
お金がたくさんあると、気持ちに余裕が生まれることはまちがいない。今月のガス代のことやら、月末の家賃のことやらを考えながら仕事をするのと、何も気にせず仕事ができるのとでは、ずいぶんと気分が違うだろうと思う。
だから、人によってはお金をたくさんもらえる仕事を優先させて、まずは気持ちに余裕を持たせてから、あまりお金をもらえなさそうな仕事に取りかかることだってあるだろうと思う。だって、逆だったら最初から最後までずっとガス代のことを考えながら仕事をしなくちゃいけないわけだからね。そう考えて優先順位をつける人はそれなりにたくさんいるだろう。
質問のちゃんとした答えにはなっていないけれど、これはもう人によってそれぞれ違うだろうなとしか僕には言えない。ちなみに、僕自身についてはお金の多い少ないによって仕事の優先順位を変えることはない。たぶんない。ないんじゃないかな、と思う。
目先のことをつい追いかけてしまう
なにせ僕は基本的に働きたくないのだ。本当に何もしたくないのだ。いつも誰かに言われるまま、頼まれるまま、フラフラと流されながら仕事をしているだけで、そんな僕が優先順位など考えるはずもない。仮に優先順位があるとしたら、それは僕が声をかけられた順か、もしくは締切の順くらいだ。
締切の近いものから手をつける。それだけである。目の前にあるものから片づけていく。それが僕の優先順位だ。ボールを転がされたら、つい追いかけてしまう動物のようで、どうにも情けないのだが、そういうことですので、長らくお待たせしてるみなさま、たいへん申しわけありませんがボールの転がる順番をいましばらくお待ちください。
話がずれてしまった。
「お金なんかなくても平気だよ」なんて綺麗事を言う気はないけれど、やっぱり仕事は仕事、お金はお金なのだと僕は思う。お金のために仕事をするのではなく、仕事の結果としてお金がついてくるだけなのだ。
先に僕は、お金は人生に選択肢を増やしてくれる道具だと書いたよね。所詮、道具は道具。お金がなくても人生の選択肢を増やせるのなら、お金なんかなくても平気なのだ。
だから、将来どんな職業に就きたいのか、どんな仕事がしたいのかと聞かれたときに、できるだけお金のことは考えないほうがいい。
道具はあくまでも目的を達成するためにあるもので、道具そのものが目的ではないからね。