雲にハサミを入れる po/e/t/ry

ピアノが食器をあらう
「雲にハサミを入れる —po/e/t/ry—」③

いま注目の詩人である岡本啓さんによるエッセイの連載第三回です。今回は、詩を書くときの話。ぜひお読みください。(タイトルデザイン:惣田紗希)

行方不明者の捜索に参加したトルコの男性、探されているのは自分だと気づく。ニュース記事に、こんな長い見出しを見かけた。とんだあわてもの。そうかもしれない。でもぼくが詩を書くとき、おなじようにどこか迷いこんだ感覚がある。自分自身を探しつづけている。とうに見つかっていて、決して見つからないのに。

ある男性が蒸発した、や、飛んだ、なんてうわさやニュースを聞くと、そわそわする。それは自分だったのではないか。思い詰める。弱く逃げてばかり。ぼくと同じだ。音信不通になる。途中ですべてを投げ出す。そのきもちがよくわかる。で、現状から逃げ出すのだけれど、いなくなったあとは、ただぼんやりしている。暗いわけでも、辛いわけでもない。

机にむかって詩や文章を書く。そんなはずじゃなかった。なにかを書いて生活するなんて思いもしなかった。思うとおりに詩が書けない。いい言葉がやってこない。そんなときは窓をあける。全開にする。それでも来なければ玄関を押しあけ、部屋に風を通す。それでもダメなら、スニーカーにかかとをいれる。ふらふら外へさそい出される。

そうして地下鉄にとびのる。そうして詩をむかえにいく。言葉をむかえにいく。頬に暗がりがかすめる。もうすぐおもて。路線はあかるい郊外へとつながっていて。きっともうすぐ。知らない駅で降りる。歩き出す。ずいぶん歩く。もう来てくれそうだ。カラスが地面すれすれを滑空してきたら、もう大丈夫。カラスが地面すれすれを滑空する。そう書けばいい。夜の袋から一欠片の眠りをつまんで飛びさった。そう書けばいい。手元のiPhoneに。真っ白な、おろしたてのノートの気分に。収穫する。枝に色づく鮮やかな実を。言葉でもって。たんたんたんとぶら下がるあれを。あの橙の実を。あの色彩と重みを、枝が葉が、土と根が、空気と太陽が、なにもないところから生みだした。ほんとうになんにもないところから。なんてことだ。あたりまえのことに驚く。自分でもおもう、おおげさだ。でもたしかにそのときぼくはそうおもう。

ピアノのおとがする。だれかが食器をあらっている。それならピアノが食器をあらっている。イメージをガムのように噛んでどこまでも歩いていく。口がつかれ、もはや言葉の甘みの薄れるまで。息がきれる。息がきれる。詩が書けてうれしい。というか、詩を書いていることをそのときは忘れて、瞬間にこそぼくは真剣だ。詩が書けるときはいつもそう。詩はそこにない。

詩をまさに書いているとき、詩を書いているというふうに、ぼくは自分を冷静に観察できていない。そうじゃない。ただただ言葉とともに瞬間にある。そうやって自分の内側をなんとか波打たせている。目の前の路地を、せかいのすべてだと勘違いしている。そう、ぼくを悩ませていたあれこれは、逃亡してしまうときれいに頭からなくなっていて。

歩きつかれたら、喫茶店の戸をくぐる。テーブルで頬杖をついて、窓をみる。そうしてじっと待つ。運がよければ、言葉がじわっと出てくる。コップの水をこぼしたように徐々に文字はメモ用紙に埋まっていく。あとで見かえすと、つまらないなんてことはしょっちゅうだ。うまくいってもそれは、一篇の詩のたった一行。一行にもならないかもしれない。それでも言葉とイメージにつつまれて、ぼくは満ち足りている。

よい言葉がでてくると驚く。自分の言葉じゃないみたいだ。さっきまでそんなこと考えていなかった。不思議なことにそれが自分自身から現れてきた。歩きながら生まれたてのなにかとともにある。脚を棒にして、ふいに気づく。今日中に帰りつかないじゃないか。

おもての大気にはいつもノイズが混じっている。外に出て書くということは、瞼にある空想と目の前の現実がせめぎあうこと。もしかするとぼくは、ほんとうにどこか遠くへ逃亡してしまわないように、言葉がイメージを連れてくるちからで、ここではない場所を体験しようとしているのかもしれない。夢中で、自分からうまれてくる言葉を追いかけながら。

詩を書くとき、詩はそこにない。ほら、ごらん、歩道を行くそいつを。詩を書いているようにはとても見えない。なにもないところで立ち止まった。はたと枝を見た。カラスに驚き突然かがんだ。ゴミステーションを見た。首をひねった。なにかにひっぱられてるみたい。しつけのない透けた犬に。なんてぼんやりしたひとだろう。朝の通勤の車は、もうバイパスから立ち去ってしまった。とりのこされて。言葉に満ちたひとがひとり、おおまたで渡っていく。

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