災害は起こる前の防災も大切だけれども、起こった後の対応も防災と同じかそれ以上に大切だ。
能登半島地震(1月1日)の3か月後、4月3日に台湾東部で起きた地震の際には、発災後3時間で避難所が設営されるなどの迅速な対応に注目が集まり、日本との差を見せつけた。
災害時の被災者支援については「人道憲章と人道対応に関する最低基準(通称スフィア基準)」という国際基準が設けられている。国際NGOや国際赤十字などで作られたスフィアプロジェクトが1997年に策定した最低基準で、避難所について、居住空間は一人当たり三・五平方メートル(約二畳分)、トイレは二〇人に一つ(男性と女性の割合は一対三)など、細かい基準があり、最新版(2018年発行)のハンドブックは四〇〇ページにも及ぶ。
災害大国である日本の状況はしかし、スフィア基準に遠く及ばない。21世紀以降だけでも、東日本大震災はじめ幾多の大災害を経験しているのに、だ。よくいわれるように災害は、高齢者、子ども、障害者、性的マイノリティなど、社会的弱者にしわ寄せが行きやすい。被災者の半分を占める女性も例外ではない、はたして実態はどうなのか。関連書籍を読んでみた。
災害時には権利意識が低下する
竹信三恵子+赤石千衣子編『災害支援に女性の視点を!』は東日本大震災の翌年(2012年)に出たブックレットだ。
編者のひとり竹信によると、東日本大震災後、あちこちから聞こえてきたのは、避難所には衝立さえない場合もあり、着替えや授乳など女性のプライバシーが守れる場所が確保されていないという声だった。ある被災女性の体験は真に迫っている。
〈リーダーは自薦の六〇代男性だった。彼は「皆さん私たちは家族です。衝立はいらないですね」と語った。副リーダーの女性も彼の親しい人で異論を唱えず、多数決は拍手。家も家財も身内もなくし、疲れ果てた人々は、同意の拍手を送った〉。「女性に炊事を担当させたい」という提案が出た際、反対意見を述べようとしたら〈周囲の人々が「ここにいたいのなら、やめた方がいい」と引き止めた。(略)人々の権利意識は低下していた〉。
そう、〈災害時には、男女平等や個人の尊厳を叫んでも、その声はかき消されてしまう〉のだ。
特に由々しきはDVや性暴力だ。「東日本大震災女性支援ネットワーク」の調査(11年11月〜12年6月末)によると、寄せられた事例は約100件。夫からのDV(震災前からの暴力が震災のストレスでエスカレートする)。対価型の性暴力(リーダーなどが食料や生活物資の対価として、または「守ってあげる」などの甘言で性関係を強要する)。さらには日常でのセクハラ(避難所で男性が隣に寝に来る、身体を触る、授乳を注視するなど)。〈お前が津波に遭えばよかったのに〉などの親族による言葉の暴力。
このような状況を小説の形で描いたのが、やはり東日本大震災に取材した垣谷美雨『女たちの避難所』である。
三人の女性が登場する。椿原福子は五五歳。かつて保育士だったが失職し、今は酒屋で働いている。身勝手な夫が震災で死んだらしいことを内心喜んでいる(後に生存を確認)。
漆山遠乃は二八歳。夫と生後六か月の息子、そして義理の両親との五人で暮らしてきたが、震災で義母と夫を失った(後に義父が遠乃と独身の義兄との結婚を企んでいたと判明)。
山野渚は四〇歳のシングルマザー。離婚後、故郷で母と二人、喫茶店兼スナックを経営してきたが、震災で母を失った(後に彼女の水商売を理由に五年生の息子が学校でいじめられていたと判明)。
というように、それぞれの事情を抱え、九死に一生を得た三人が避難所となった中学校の体育館で出会う。
ところがそこは先のブックレットがいう通りの避難所だった。勝手にリーダーに立候補した六〇代らしき男性・秀島が仕切っており、副リーダーは秀島と親しい女性。仕切り用のダンボールは届いていたが秀島はいった。〈私だづは家族同然なんです。これがらも協力しで生活しでいかなければなりません。つまり、ひとつにならなければなんねってごどです。だから互いに絆と親睦を深めましょう〉〈我々に仕切りなんてものは要らねえです〉。
二言目には〈和を乱す人はこごがら出でっでもらいますがらね〉と息巻く秀島。授乳スペースがないことに戸惑う遠乃に〈何もそんなに隠すこたねだろ。昔の女は人前でも堂々ど乳さやっだもんだ〉と意見する義父。八時に消灯されるため、テレビで九時のニュースも見られない。市の職員に不満を訴えても、避難所の運営は自治だからと突っぱねられる。トイレは少ない上に男女共用で、遠乃は外部の男たちに危うく暴行されかかる。
〈――助かっただけで感謝すべきだ。/――自分だけがつらいのではない。もっとつらい人もいるんだから、我慢しなくちゃ。/全体がそういう雰囲気に包まれていた〉。ありがちな光景である。
それでも切羽詰まった人々に背中を押された福子は、自ら手を挙げ、多数決に勝って秀島に代わる新リーダーになった。さっそくみなの要望に応えて仕切り用のダンボールを配り、消灯は一〇時半に繰り下げ、畳がある家庭科室を女性用に開放した。かくて避難所の雰囲気は変わったが、4月になり、それぞれが仮設住宅に移っても問題は終わらなかった。義援金や義捐金が世帯単位で出されるなど、日本の災害対応はまだまだ世帯主(男性)中心なのだ。
こんな状況は後に少しは改善されたのだろうか。
災害時のジェンター意識は進んだか
浅野富美枝+天童睦子編著『災害女性学をつくる』は東日本大震災から10年を機に、〈防災や復興、地域社会のあり方を女性学、男女共同参画の視点から検討するうえで必要な知識と実践を提起すること〉を目指して出版された論考集である。
ひとつ参考になったのは、今般の災害時には、自治体の男女共同参画センターやNPO法人、またそのネットワークなど、被災地の女性グループが大きな役割を果たしていたことだった。
東日本大震災を対象にした瀬山紀子の報告(「男女共同参画センターと災害」)によると、多くの自治体やNPOが相談窓口、女性専用スペース、ホットラインなどを設けている。一方で、避難所を回って個別のニーズを聞き出し、下着などの物資を届ける「デリバリーケア」を行った岩手県のもりおか女性センター、避難所の女性たちの洗濯を代行する「せんたくネット」から活動が広がった宮城県のせんだい男女共同参画財団(このエピソードは『女たちの避難所』にも登場する)など、各地で女性被災者に寄り添ったきめ細かな活動が行われていたことがうかがえる。
とはいえ、個別の取り組みでカバーできる範囲は限られている。その意味でも、内閣府男女共同参画局が13年に「男女共同参画の視点からの防災・復興の取組指針」を策定したのは一歩前進だったといえるだろう(20年に改定)。16年の熊本地震は指針発表後の災害だったため、特に注目が集まった。浅野幸子の報告(「熊本地震と女性」)によると、熊本市の男女共同参画センター「はあもにい」は、いち早く内閣府のチェックシートを持って避難所を訪ね、「女性更衣室」「授乳室」などのプレートを配る、男女別のトイレに意見箱を設置するなどの活動を行っている。
しかしながら、全体としてはどうか。『災害女性学をつくる』が貴重な問題提起の本であるのは事実だが、類書も含めてこの種の活動報告には大きな欠点がある。第一に「成果を誇る」傾向があること。第二に「まとめ」「報告」に終始するため、具体性に乏しいことだ。私たちはこんなに頑張った、この経験を生かしてねといわれても、これでは生かしようがない。必要なのは「失敗の経験」を語り、次への課題をあぶり出すことではないのか。
実際、熊本地震で被災した24市町村を対象に内閣府男女共同参画局が行った調査(16年)を見ると、避難所のまだまだお寒い状況が浮かび上がってくる。間仕切りが設けられたのは54%(たった半分!)。女性用更衣室および授乳室は46%(半分以下!)。女性専用の物干し場は4%。男女別トイレは83%で設置されたものの、女性トイレを男性より多く設置したのは17%。
お寒い数字はまだ続く。生理ナプキンや下着など女性用物資を女性が配布したのは33%。相談窓口の開設や周知は25%。女性ニーズの把握は33%。乳幼児のいる家庭用エリアおよび女性や母子専用エリアの設定も33%。女性に対する暴力を防ぐための措置はたった17%。性別役割分業(女性に炊事を担当させるなど)を回避する取り組みに至ってはわずか13%である。
運営に女性が参画した避難所は63%で、一見男女共同参画が進んだように見えるものの、『女たちの避難所』のように、実際には「名ばかり参画」の例もあったのではないかと想像される(すべて避難所設置1か月以内の数字。小数点以下四捨五入)。
能登半島地震後の報道やヒアリング調査でも、仕切りがなく布団の中で着替えた、下着やおりものシートなど女性用衛生物資は後回しにされたなどの例が報告されている。内閣府の23年の調査では、全国1741の市区町村で防災や危機管理の担当部局に配置されている女性職員の割合は、23年4月の時点平均で12%。女性職員がゼロの自治体は900を超え、半数以上にのぼった。
東日本大震災から10年以上が経過しても、まだこのありさま。災害対応に女性視点が必要なこと自体、いまだ周知徹底されていないのではないか。災害時に望ましい体制を整えるには日頃の備えが肝心だ。必要なのは防災グッズだけじゃないのである。
【この記事で紹介された本】
『災害支援に女性の視点を!』
竹信三恵子、赤石千衣子編、岩波ブックレット、2012年、616円(税込)
〈男性基準で進められる災害支援に苦しめられる女性被災者たちの実態を報告。多様な支援のあり方を考える〉(版元HPより)。被災女性を支援する「東日本大震災女性支援ネットワーク」を立ち上げた編者らによる問題提起の書。避難所の実態から復興政策への女性参加まで、コンパクトながら課題を網羅。出版から10年以上が経過した今でも示唆に富むのは、現状があまり変わらない証拠?
『女たちの避難所』
垣谷美雨、新潮文庫、2017年、737円(税込)
〈憤りで読む手が止まらぬ衝撃の震災小説〉(カバー紹介文より)。舞台は宮城県の架空の町。地震と津波に遭遇し、命からがら辿り着いた避難所は悪夢のような場所だった。一見大袈裟な避難所の実態は資料や取材に基づくリアルなもので、臨場感いっぱい。主人公の三人は最終的には上京し、新生活をスタートさせる。災害は日頃のジェンダー差別を如実に顕在化させるのだと実感させる好著。
『災害女性学をつくる』
浅野富美枝、天童睦子編著、生活思想社、2021年、2310円(税込)
〈日本各地でこの10年に女性主体で活動してきた市民団体の実践、災害研究を丁寧に辿り、「災害女性学」というあらたな学問分野を切り拓いた一冊〉(版元HPより)。関東大震災時の対応からコロナパンデミックまでを射程に入れた、八人の研究者や支援活動実践者による論考&報告集。主旨には賛同するも、大上段に構えた巻頭言から各報告まで消化不良の感あり。資料編の刊行を望みたい。