橋とは二つの世界をつなぐものである。浮世絵で最も数多く描かれている橋は隅田川に架かる両国橋だが、まさしくこの両国橋は、武蔵国と下総国という二つの国をつないでいることにその名前の由来がある。
両国橋のにぎわいを最も劇的に伝えているのが、歌川貞秀の「東都両国ばし夏景色」(図1)であろう。貞秀ははるか上空から名所を俯瞰する鳥瞰図を得意とした絵師であった。この絵も、まるで空撮用のドローンを橋の上空に飛ばしているかのようだ。
手前が隅田川の西岸で、橋を渡った対岸の建物群の中には回向院の本堂も見える。極端に湾曲した隅田川は、はるか遠くの景色も一枚の画面の中に収めるための大事な工夫となっている。
驚くべきは両国橋の混雑状況であろう。橋の上の白い粒状の物をよく見ると、すべて人間の頭。夏の風物詩である花火を見物しようと、まさに芋の子を洗うような状態となっている。橋の中央にはたくさんのお供を連れた駕籠の一行がいるが、あまりの混雑で前に進むことができず、にっちもさっちもいかないようだ。
にぎわっているのは橋の上だけではない。川の上は大小たくさんの屋形船や屋根船で埋め尽くされている。また、画面の右下には、葭簀張りの水茶屋が川沿いに隙間なく立ち並んでいる様子が描かれており、こちらの往来もかなり密な状態である。
もともと両国橋のたもとには、火災が発生した際の延焼を防ぐための火除地として、広小路と呼ばれる広々としたスペースがあった。そこに屋台や水茶屋、見世物小屋などが集まるようになり、両国橋周辺は江戸の町でも有数の盛り場となったのである。二つの国をつなげる両国橋は、大勢の江戸っ子たち同士がつながる交流の場でもあったのだ。
さて、江戸の町から離れた地方の珍しい橋を好んで描いたのが葛飾北斎である。70代の時、かの有名な「冨嶽三十六景」に続き、「諸国名橋奇覧」という日本全国のさまざまな橋を描いたシリーズを刊行した。その中で最も幻想的な橋が「足利行道山くものかけはし」(図2)と言えよう。
場所は現在の栃木県足利市、行道山にある浄因寺。切り立った岩の上にギリギリの大きさで建っているのが清心亭という茶室である。右側の浄因寺の堂宇とつながる橋脚の無い刎橋を、北斎は「雲の架け橋」と名付けている。橋の下の谷間からは雲がもくもくと湧き立っており、まさしく橋の名前にふさわしい絶景である。
実際には、清心亭の周辺は山で囲まれているため、この絵のように橋の背後に広々とした空が見える訳ではない。橋の存在を際立たせるための北斎ならではの演出なのだが、俗世と仙境という異なる世界をつなぐ橋の役割を見事に体現させているのである。