日本の小説家がアマゾン河で釣りをしようとブラジルに渡った。むこうで日系人の人たちと雑談していると、こちらにはニメートルの大ミミズがおりますという話を聞かされる。ある人がそのミミズをせっせと掘りまくり、釣り人に売った金でブロックの小屋を建てたというのである。それまで、百メートルもあるアナコンダ(巨大な蛇)が出てきたので、機関銃の弾を五百発ばかり撃ちこんで仕止めたとか、大きなクモが電線に巣を張ったところ、雨が降ってそこに水が溜まったために電線が切れたといった類の話をさんざん聞かされたあとだったので、小説家はこの目でみないことには信用できませんなと言う。すると相手の人は、よろしい、それでは早速明日、そこへ案内しましょうということになり、車でその場所に連れて行ってもらう。
たしかに巨大なミミズはいた。小説家が目にしたミミズは一メートル六十センチばかりのものだが、これならニメートルのミミズがいても少しも不思議ではない。小説家開高健氏は深く頭を下げて「恐れ入りました」と言うのだが、ひょっとするとその時、この分では百メートルのアナコンダも電線を切るほどの巣を張るクモの話も、多少の誘張はあるにしても、あながちホラ話、バカ話として笑って済ませるわけにはゆかないのではあるまいか、と考えたかも知れない。
いつだったか、コロンビアの人と雑談している時に、話題がガブリエル・ガルシア=マルケスの小説『百年の孤独』(一九六七、新潮社)に及んだ。あの小説の中で小町娘レメディオスが白いシーツにくるまって昇天するというまことに印象的なシーンが出てくる。
いかにもガルシア゠マルケスらしい幻想的なエピソードなので、そのことをコロンビア人に話したところ、あれはまったくの作りごとではありません、という返事がかえってきて、面食らってしまった。その人の話では、女性が香水をつけて海岸や川岸を歩くと、香水の匂いに引き寄せられて集まってきた無数の蝶が、汗を吸おうと身体に群がると言う。その様子を遠くから眺めると、眩くばかりの強い日射しの中で、女性が蝶とともに天に昇ってゆくように見える。ガルシア゠マルケスもおそらくそうした光景を目にしたことがあって、あのようなエピソードを入れたのでしょう、『百年の孤独』には現実にもとづいて生み出されたこのような幻想的な描写が随所に見られます、というのである。
それにしても、ニメートルの大ミミズといい、女性に群がる無数の蝶といい、ラテンアメリカの現実はどう見ても、われわれの常識の域をはるかに越えているようである。