人々が性の歴史を語る実践との関連のもとで、性の歴史学の幅広い理論や方法論の展開を領域横断的に描き出し、批判的な性の歴史(学)の重要性を示そうとする刺激的な入門書である。ウィークスが批判的な性の歴史と呼ぶのは、セクシュアリティを根本的に社会的・歴史的な構造としてとらえ、単一の閉鎖的なナラティヴではなく多数のナラティヴを描き出し、感情を伴った過去とのつながりを見出してゆくような歴史だ。
まず描かれるのは、十九世紀以降、性の歴史が科学的アプローチから社会・文化的アプローチへと変遷していく仕方である(2章)。そして「同性愛者」を正当化しようとする実践とともに多くの歴史研究が生まれたが、統一的な「同性愛者」概念への疑問も生じ、あらゆるカテゴリー化を問いなおすクィアの視点が登場する(3章)。さらに、フェミニズムが女性のセクシュアリティの精緻な歴史や、人種や階級との交差性、男性性の歴史研究に取り組み、伝統的な社会史を拡張していった仕方が示される(4章)。こうした性の歴史は、一九六〇年代以降の欧米の生活様式や個人の自由の変化、一九八〇年代のエイズ危機、その結果としての同性婚合法化の流れを経て主流化していく(5章)。さらには、グローバル化がアイデンティティや性生活において個人や集団、国家によって異なる形で影響した仕方、国際的な人権運動の展開が論じられる(6章)。さいごに、人々の記憶や声が性の歴史に果たす役割や、コミュニティとアカデミアの緊張をはらむ共生関係が示される(7章)。
性をめぐる社会的課題の解決を見据えた性の歴史は決して中立ではありえず、「常に、必然的に政治的なものとなる」(二一頁)。このように述べ、性の歴史学と両輪をなす同性愛者などのコミュニティの実践を描き出してゆくウィークスの記述は、ゲイ解放運動に注力した経験にも裏打ちされており、それも本書の魅力のひとつである。
日本において、固有の性の歴史実践の展開があるとしても、本書で紹介される性の歴史学の潮流はある程度は共有されていると言えよう。とくに性的マイノリティの歴史研究において、フーコーに依拠した言説分析の影響力は大きい。医学的な言説や週刊誌、新聞記事、当事者による商業誌・ミニコミ誌の分析から、「同性愛者」「ゲイ」「レズビアン」「性同一性障害」といったさまざまな概念がどのように生じ、性的マイノリティに何をもたらしたのかが描かれてきた。加えて、主流の歴史(学)への草の根の抵抗として、オーラルヒストリーに依拠するコミュニティ史が徐々に蓄積され、語りのアーカイブ化に向けた動きもある。
そのうえで本書は、十分に紹介されてきたとは言い難い、フーコー以後に生じたさまざまな理論・方法論を示している。ウィークスはフーコーの著作の意義に随所で触れつつも、性の理論においてフーコー以外の貢献が周縁化されてはならないと述べる。たとえば、明確なアイデンティティが確立されていない中で、都市における多様な性生活のパタンや自己形成を描き出す歴史研究。あるいはクィア理論が可能にした、性の正常性を問い直す歴史、そして過去を発掘するだけでなく、異なりながらも感情的に近い人々を見出し過去と現在とのつながりを生み出そうとする歴史研究。本書の多岐にわたる研究潮流の紹介から学びとれることは多い。性的マイノリティがエスニシティとの交差を生きる仕方や、西欧の研究で通用する諸概念が分析で用いられることの功罪など、交差性やグローバル化への着目も、日本の性の歴史においていっそうの進展が望まれる領域だろう。
コンパクトでありながら幅広い理論・方法論を見渡す本書は、性の歴史学に取り組もうとしている大学生や大学院生、研究者にとって重要な出発点となるに違いない。それだけでなく、歴史(学)全般に関心のある人にとっても、セクシュアリティが歴史(学)の発展にどのように不可欠なのかを知ることのできる示唆に富んだ一書となっている。本書が多くの人に読まれることを願ってやまない。