大阪・関西万博が迷走している。
会場建設費は当初の2倍に膨れ上がり、海外パビリオンの建設は遅れに遅れ、計画縮小ばかりか、撤退する国も出てきた。それでも懸命に工事が行われる中、ある工区ではガス爆発事故が発生した。廃棄物の埋め立て地という会場の土壌が原因だという。地震をはじめ災害のリスクも指摘されるが、防災計画は不十分なままだ。
何よりも――国民の関心が一向に高まらない。
開幕まで1年となった2024年4月、NHKの世論調査によれば、万博に「関心がある」と答えた人は「とても」と「ある程度」を合わせて31%だったのに対し、「関心がない」と答えた人は「あまり」と「まったく」を合わせて62%と2倍に上った。読売新聞の調査ではさらに差が開き、関心がある人は「大いに」と「多少は」を合わせて31%のところ、関心が「ない」人は69%に達した。
いったい誰のため、何のための国家事業だろうか。根本的な疑問がぬぐえない。
開催概要を公式サイトで確認しておこう。
会期は、2025年4月13日から10月13日の184日間。会場は、大阪湾の人工島「夢洲」(大阪市此花区)。テーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」。その下に「いのち」をめぐる3つのサブテーマがあり、「未来社会の実験場」とコンセプトを掲げる。161の国・地域と9つの国際機関(24年3月現在)をはじめ、企業やNGO/NPO、市民団体等が世界中から集まり、SDGsの達成と、その先の未来を描き出す。具体的取り組みとしては日本の各界のトップランナー8人が「いのち」をテーマにパビリオンをプロデュースする。想定来場者数は2820万人――。
と、こうしたキャッチフレーズやイメージ図をいくら眺めていても、何が出展され体験できるのか、ほとんど想像できない。PRに孤軍奮闘するミャクミャクという公式キャラクターは「ふしぎな生き物。その正体は不明」らしいのだが、それが象徴するように、イベント自体につかみどころがない。関心の低さの一因はそこにあるのだろう。それに加えて、冒頭に記したような迷走ぶり……。
なぜ、万博準備はこれほど迷走するのか。理由はさまざまに語られてきた。20年に開催予定だった前回のドバイ万博がコロナ禍で1年遅れたこと。ウクライナ戦争による世界的な原油や資材の高騰。国内建設業界の人手不足。これら外的要因に加え、大阪・関西万博の計画や体制自体が数多くの問題をはらんでいる。それを開幕前に、多角的な視点から検証・指摘しておくのが本書の目的である。
開幕前からあえて「失敗」と断じることには反発も当然あるだろう。だが、こうしたメガイベントというのは、五輪もそうだが、事前に批判すれば「楽しみにしてる人もいるのに水を差すのか」「成功へ努力する関係者の足を引っ張るのか」と言われ、事後に検証すれば「終わったことをいつまでも」「今さら言っても遅い。なぜ事前に言わないのか」と批判されるのである。どんな形であれ、終わってしまえば、なんとなく「やってよかった」という空気ができ、それに乗じて関係者は「大成功だった(私の手柄だ)」と言い募る。「成功」の基準がないから、いくらでも恣意的に語られてしまう。そうなる前に、「失敗」と見る批判的立場から問題を整理し、指摘しておくべきだと考えたのである。
検証テーマには、「万博と政治」「万博と建築」「万博とメディア」「万博と経済」「万博と都市」の5つを設定。編著者である私が「このテーマはぜひ、この人に書いてほしい」と信頼できる書き手に依頼し、幸い全員から快諾を得た。私を含む3人は記者で、2人は研究者・専門家だ。一堂に会して話し合ったことはないが、本書を読み通せば、共通する「失敗」の本質が見えてくるはずだ。
最後に、まったく個人的な事情を記しておきたい。
私は1970年大阪万博開幕の2カ月前、会場のある大阪府吹田市で生まれた。もちろん会期中に行くことはなかったが、跡地の万博記念公園の風景――幼少時は遊園地のエキスポランド(2009年閉園)、大人になってからは民博(国立民族学博物館)、そして、いつ行ってもそこにそびえる太陽の塔――は記憶に刻まれている。万博当時に整備された千里周辺の街並みは自分自身を形成した原点の地と言える。
自分の生まれた時代と場所がどのようなものであったかを知るために、今から15年ほど前――万博40周年の前後――に、当時の関係者を訪ね歩いていたことがある。だが、私自身の力不足もあり、取材成果をまとまった形で活かすことはできなかった。
その時とは少し違った形ではあるが、筑摩書房の橋本陽介さんから、あらためて「万博」について考える機会をいただき、心強い執筆陣とともに、このような形で世に問うことができるのは、とてもありがたいことだと思っている。