ちくま新書

ヨーロッパ近世はなぜ中世でもなければ近代でもないのか
『ヨーロッパ近世史』「はしがき」より

ヨーロッパにおいて近世とはどういう時代か、中世とも近代とも異なるその独自性とはどのようなものか。主権国家と複合国家の相克という観点から、近世という時代の多様で複雑なうねりを描き出すちくま新書8月刊『ヨーロッパ近世史』(岩井淳著)より、「はしがき」を公開します。

「ヨーロッパ近世」とは、どのような時代だろうか。近世とは、日本史なら主として江戸時代をさすが、ヨーロッパ史では通常、15、16世紀の大航海時代や宗教改革に始まり、18世紀後半のイギリス産業革命とフランス革命までの時代を念頭に置くことが多い。しかし振り返ってみると、この「近世」(英語ではearly modern と言う)という時代区分は、それほど古くからあったわけではない。19世紀までの主要な歴史家は、ヨーロッパ史の時代区分として古代、中世、近代という三分法を用いており、そこでは、大航海時代や宗教改革から始まる時代は、中世とは区別される「近代」として認識されることが一般的だった。
 だが、20世紀も後半になると、15世紀末から500年にも及ぶ、あまりに長い「近代」を再考する動きが始まった。ドイツやフランス、イギリスの歴史家たちは、長い「近代」を前半と後半に区分し、前半をearly modern, 後半をlater modern あるいは単にmodern と呼ぶようになった。こうして日本語で「近世」と訳される言葉が、20世紀後半から頻繁に使われるようになる。その際、「近世」と「近代」を分かつ分水嶺とされたのは、18世紀後半のイギリス産業革命やフランス革命であった。
 この区分は、イギリスの歴史家エリック・ホブズボームが1962年の著作でフランス革命と産業革命が同時に進行した18世紀後半〜19世紀前半を「二重革命の時代」と命名したことで、より一層普及した(邦訳『市民革命と産業革命』)。そこには、資本主義と民主主義によって特徴づけられる本来の「近代」は産業革命とフランス革命によって開始されるのであり、それ以前の「近世」は「近代」に至る過渡的な時代であるという歴史観がひそんでいる。一方、近世史の側でも、宗教史や社会史、文化史、軍事史といった分野で「近世」が固有の時代であることを説得的に示す研究が相次いで登場し、「近世」は近代と異なる独自の時代であるという認識が広がっていった。
 ただし、その動きと連動して1970年代になると、今度は「長い中世」を想定し、「中世」の延長に「近世」を置き、「中世」と「近世」の区別をなくす時代区分が現れたことも見逃せない。その代表格はアナール派の歴史家として名高いジャック・ル=ゴフである。彼は、中世以来、「経済、政治、社会、文化のどの分野においても、一六世紀には、そして事実上一八世紀半ばまでは、根本的な変化が起きていない」として、「近世」という時代区分を否定した(ル=ゴフ、134頁、一部表記を改めた。以下同様)。
 こうして、以前、「近代」の出発点とされた時代は、うって変わって「中世」の延長と見なされたのである。この「長い中世」説は、もちろん一つの見方として興味深いが、これまでの歴史学の諸成果に照らすと、16、17世紀における大航海時代の影響を軽視するなど、あまりに極端な学説である。そこで本書は、15、16世紀の大航海時代や宗教改革に始まり、18世紀後半のイギリス産業革命やフランス革命までの時期に、近代でも中世でもない時代として「近世」が存在したと考える。つまり、以前のように「近代」と同一視されず、また近年のように「中世」の延長上に置かれるのでもない、独自の時代として「近世」が想定できると考える(『思想(時代区分論)』1149号を参照)。その理由を提示することが、本書全体の目的ということになるだろう。
 それならば、「ヨーロッパ近世史」を成り立たせているのは、どのような特色だろうか。本書では、その要点を、第一に多様な地域から構成される複合国家、第二に人や情報のグローバルな移動という二つの特色に求めたい。これらは、特定の国の特色というよりも、ヨーロッパ近世史全体の特色と言ってよい。そのため本書は、ヨーロッパ近世史を国ごとにとらえ、その発展の優劣を競うよりも、ヨーロッパ近世が全体としてまとまった特色をもつというアプローチをとった。
 第一に、諸地域から構成される複合国家から説明しよう。1990年代以降のヨーロッパ近世史研究は、一方で中世との連続性を批判しながら、他方で近代の国民国家から連想される「中央集権化」や「主権国家体制」が近世に実現したというイメージに異議を申し立てた。ヨーロッパ近世には、もちろんフランスのように集権化された国家は存在するが、本書は、新しい動向に依拠して、近世の主権国家が18世紀末以降の国民国家へ連続的に接続するという理解から距離を置いている。新しい研究によれば、集権化したのは、あくまで特定の国家や中央のレヴェルであり、周辺地域まで含めて考えると、王権は十分に及んでいなかった。また、中央集権的な国家は支配者の理念のレヴェルにはあったとしても、実態を見ると決してそうではなかったことが明らかになる。
 ヨーロッパ近世史の研究者たちが「主権国家」に代わって新たに提示したのは、「複合国家」という用語である。複合国家とは、ある国の主権者(君主など)が、法的・政治的・文化的に異なる複数の地域を同時に支配する体制である。もちろん研究者によって言葉は違っていて、「複合君主政」や「多元的王国」「礫岩のような国家」など多様であるが、本書では、それらを総称して「複合国家」と呼ぶことにしたい。「複合君主政」でなく「複合国家」としたのは、ヨーロッパ近世史上、オランダやポーランドのように共和政や貴族政をとった国であっても「複合国家」と見なすことができるからである。
 この用語は、教科書レヴェルではまだ採用されていないが、最近の近世史研究は「複合国家」を用いて、近現代との連続性よりも、ヨーロッパ近世の独自性を提示する傾向になっている。ヨーロッパ近世では、宗教改革以来、宗教が積極的な役割を果たし、ときには紛争の原因となり、ときには和解の前提となった。また、大航海時代以降、国家を越えたグローバルな活動が目立ち、商業だけでなく宗教もその推進力となった。宗教改革も大航海時代も、中世までに存在しなかった「近世」の重要な構成要素である。
 近世において、複合国家は固有な特徴をもつ諸地域を統治するシステムとして機能した。もちろん、それは平和共存を保障するのではなく、しばしば対立を引き起こし、場合によっては戦争を誘発していった。本書では、近世の宗教性や複合国家性といった特徴に注目し、必ずしも近代の国民国家にはつながらない、ヨーロッパ近世史像を描いてみたい。
 本書が第二に注目するのは、人や情報のグローバルな移動である。これまで、ヨーロッパ近世史は、程度の差こそあれ、各国史の集合体として叙述されることが多かった。つまり、近世を構成する各国は、戦争し、条約を結ぶことはあっても、基本的には別々の道を歩んできたかのようにとらえられてきた。しかしながら、ヨーロッパ近世では、従来想定された以上に国境を越えて移動する人・モノ・情報が多かったことが、近年強調されている。その背景には、近世を舞台とするグローバル・ヒストリー研究の進展がある。こうしたグローバルな移動は、ヨーロッパ近世史のもう一つの特色と言ってよいだろう。この特色は、近世の長崎・薩摩・対馬・松前で商品取引があったとしても、人やモノの移動が制限されていた日本の江戸時代とは異なる点である。
 グローバルな移動は、15、16世紀の大航海時代に始まり、17、18世紀にはヨーロッパ、アフリカ、アメリカという三大陸を結ぶ奴隷貿易を加え、大きなうねりとなった。この動きは近世を通して存在しており、宗教迫害に伴う移民や難民を生み出した。他方でグローバルな移動は、商業活動や海上覇権、植民地争奪とも関連し、絶え間ない戦争を誘発し、戦争を勝ち抜くための強力な国家建設という必要性をもたらした。戦争は、日本近世の江戸時代ではほぼ見られなかったが、ヨーロッパ近世では頻発した。こうした移動や戦争によって、近世に存在した複合国家は徐々に変質していく。グローバルな移動や絶え間ない戦争は、ヨーロッパ近世史の特色であると同時に、それを内側から変質させていく原動力としても作用したのである。
 本書は、主権国家に代表される集権化のプロセスがヨーロッパ近世にあったことを否定するものではない。中央や理念のレヴェルで、主権国家はまぎれもなく存在しており、ヨーロッパ近世史を主権国家の成立過程と見ることも可能である。この点は、中世から近世を分かつ重要な指標となるものの、主権国家だけではヨーロッパ近世史の実態を十分に説明できない。そのため本書では、序章において近世史の「二つの顔」として主権国家と複合国家を位置づける。そのうえで、中央と周辺、集権化と分権化、求心力と遠心力、理念と実態といった対照的な特徴に触れながら、二つの国家概念を吟味していく。
 第一部では、ヨーロッパ近世を特徴づける要素として、宗教改革以降の多様な宗教の役割、地域に根ざした経済活動、大航海時代以来の帝国建設、戦争と講和条約を検討する。これら四つは、いずれもヨーロッパ近世の構成要素として不可欠のものである。前述した近世史の二つの特色を想起すると、いずれの要素も複合国家と関わるが、同時にグローバルな移動とも関連するだろう。
 第二部では、ヨーロッパ大陸の神聖ローマ帝国、スペイン、フランス、オーストリア、プロイセンといった国々にフォーカスし、それらが主権国家というだけでなく、多様な地域からなる複合国家の側面を有していたことを考察する。ここで扱う諸国家は「複合君主政」の国家に位置づけられ、王権を中心に、官僚制や軍隊といった「紐帯」によって複合国家をまとめながら、近世の歴史を歩んだ。
 第三部では、近世史上、共和政を経験したオランダとイギリスを取り上げ、それらを「複合国家」として論じる。初めに、スペインから独立し、連邦共和国という政体を発達させたオランダを検討する。その後、ブリテン諸島に目を転じ、イングランドだけでなくウェールズ、スコットランド、アイルランドといった周辺地域の役割にも留意しながら考察を進める。通常、ブリテン諸島の近世史は、絶対王政の成立からピューリタン革命・名誉革命という二つの革命を経過し、立憲君主政が定着する過程として描かれることが多い。しかし、この見方は圧倒的にイングランド中心のものである。従来のイギリス近世史は、主としてイングランドの出来事を叙述することによって達成されたといっても過言ではない。ウェールズ、スコットランド、アイルランドを組み込むことで、ブリテン諸島の近世史は、どのように書き換えられるだろうか。また、複合君主政の国家と比べた場合、オランダやブリテン諸島の複合国家は、どのような特徴をもっているだろうか。ここでは、オランダとイギリスが独立や革命を通して議会の機能を強化し商業や貿易を重視し、王権だけでは提供できない「紐帯」をもったことを提示する。
 第四部では、人や商品、情報のグローバルな移動に力点を置き、複合国家の変質過程を検討する。ここで取り上げるのは、15世紀末から18世紀にかけて宗教迫害にあって亡命を余儀なくされた移民であり、17〜18世紀に活動した商人であり、大西洋三角貿易で商品として扱われた奴隷である。宗教迫害や奴隷貿易は、やがて啓蒙思想家などによって批判を浴びるようになった。啓蒙思想は、18世紀のフランスやスコットランドから広がり、ヨーロッパ中に伝播した。他方で、グローバルな移動は、商業活動や海上覇権、植民地争奪と関連し、絶え間ない戦争を誘発し、戦争を勝ち抜くための強力な国家建設という要請を生み出した。18世紀後半は近世から近代への移行期であり、国民国家の理念が成長した時期とされてきた。本書は、その過程を否定するものではないが、集権的な国民国家が成立する一方で、近世の複合国家の遺産が伏流水のように流れている事実にも目を向けるだろう。
 終章では、ヨーロッパ近世史を複合国家や人や情報の移動という視点から見た場合、従来の解釈とは違って、何が見えてくるのかを考える。従来の近世史像は、主権国家論の場合がそうであるように、国ごとの違いはあっても、全体としてヨーロッパ近世が他の地域世界と比べて発展していたことを強調する傾向にあった。これに対して、複合国家からのアプローチは、中世でも近代でもない時代である「近世」の独自性を浮き彫りにすることになるだろう。前者のアプローチでは、いち早く主権国家を発達させたヨーロッパ近世は先進的に映り、封建制のもとにあった日本近世と根本的に異なるように見える。しかしながら、後者のアプローチをとることによって、複合国家という分権的な政体をもつヨーロッパ近世は、幕藩体制をとった日本近世と類似する面も浮かび上がるのではないか。ヨーロッパと日本に共通して、近世という時代を設定する可能性について検討してみたい。
 本書は、複合国家と人や情報のグローバルな移動という二つの特色を通して、国民国家形成を標準モデルとする「国民国家史観」を問い直すことを目指している。国民国家の形成史は、19世紀ヨーロッパで生まれた近代歴史学において標準的な見方として通用してきた。しかしながら、ヨーロッパ列強と言われたイギリス、フランス、ドイツ、イタリアといった国民国家どうしの争いが、20世紀の二つの世界大戦の大きな要因となり、人類を未曾有の惨禍へ導いたことを忘れてはならないだろう。その反省もあって、国際連合やヨーロッパ連合のような国際組織が形成されたのは周知の事実である。
 この過程で20世紀後半には、支配者ではなく民衆の生活や社会集団の歴史に光を当てた「社会史」が登場し、国家内部の多様性を解明してきた。フランスのアナール学派や日本の網野善彦らの研究が、その代表的なものである。同じく20世紀後半には、イマニュエル・ウォーラーステインらによる「世界システム」論やグローバル・ヒストリーが現れ、国家を相対化する視点によって一国単位の歴史は厳しく批判されるようになった。こうした歴史学の変遷を考えるなら、21世紀の歴史学に求められるのは「主権国家から国民国家へ」という流れを標準モデルにしない見方ではないだろうか。それは、ヨーロッパ近世史のなかで、どのような形をとるのだろうか。以下で、具体的に解き明かしていきたい。

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