資本主義の〈その先〉に

第13回 資本主義的主体 part2
補論 内部空間に露出する外部───パリ同時多発テロから考える

例外状態

 こうした像は、ジョルジョ・アガンベンの政治論を想起させる。アガンベンによれば、政治は──「西洋の(政治)」と限定してもよいが──ともかく政治は、例外状態の締め出しによって可能になる(5)。例外状態state of exceptionとは、法が宙づりになる状況、法が無効になる緊急事態である。
 例外状態を具現する人間のカテゴリーは、アガンベンによれば、ホモ・サケルである。「ホモ・サケル(訳せば「聖なる人間」ということになる)」という語は、ローマ法の例外規定の中に登場するのだが、名前こそ違え、ホモ・サケルに相当する人間の形象が、ヨーロッパの政治の陰画として常に存在していた、ということをアガンベンは論証している。ホモ・サケルとは、──あらためて定義すれば──次の二条件を満たす身体である。第一に、その人物、その身体を殺害したとしても罰せられないこと。ホモ・サケルと目された人物を殺しても殺人罪に問われることがなかったのだ。第二に、その身体を供犠に用いることができない。神への犠牲と見なしうる英雄的で合法的な死を、ホモ・サケルに与えることは許されなかった。ホモ・サケルに対しては、世俗法も宗教法も効力をもたない。このように二つの法からともに締め出されていることで、ホモ・サケルは、例外状態を代表する。
 こうした点を復習しておけば、アガンベンの理論のきわめてベタな応用として、次のように言うことができる。すなわち、テロや暴力が日常化している第三世界の紛争地域においては、人々は全般的に、ホモ・サケルと化しているのだと。紛争地域で人を殺しても、殺人罪とは見なされない。もちろん、その犠牲には、宗教的で崇高な意味も与えられはしない。
 ところで、アガンベンの主張の力点は、単純に、政治の空間から、例外状態やホモ・サケルが排除されている、という事実を指摘することにあったわけではない。そうではなく、例外状態やホモ・サケルは、まさに「締め出される」ということにおいて、政治の空間を可能にしているのである。つまり、例外状態やホモ・サケルは、政治にとって必要のない要素ではない。それがなければなおよいというような因子、つまりゴミのごとき因子ではないのだ。まったく逆に、それらがなければ、政治は定義できない。政治の空間は、例外状態とホモ・サケルに対して、否定的に依存しているのである。
 さて、そうだとすると、パリの同時多発テロは、アガンベンのこうした理論を例解しているようにすら見える。われわれの世界、われわれの民主的な政治が成り立っている空間は、外部に、ホモ・サケルが常態化しているような空間を締め出すことで成り立っている。そのことは、つまり、われわれの内部の外部への(否定的な)依存は、ときどき、テロという形式で、ホモ・サケル的なものが噴出することで、言い換えれば「例外状態」という形式でホモ・サケルが露出することで、あらためて自覚される。先に引用した難民の言葉が示唆しているように、この例外状態は、そのまま外部の常態に接続しているのである(6)

クリスタルパレスのような

 アガンベンの議論は、主として、政治のアイデンティティに関わるものだが、これと同じ構造を、経済と資本主義に見出したのが、ペーター・スローターダイクの『資本の世界内部空間にて』ではないだろうか(7)。スローターダイクによれば、今日のグローバル化の中で、資本主義的な世界システムはその発展をほぼ完結しており、それが定義する内部に、生活の全条件を整えようとしている。
 今日のグローバル化において完成する、こうした発展の最初の徴候は、ロンドンのクリスタルパレスである。このようにスローターダイクは論じている。クリスタルパレスは、最初の万国博覧会の会場だ。開催の年は、1851年。なぜクリスタルパレスなのか。それが、グローバル化する資本主義の本質的な特徴の物質的な隠喩になっているからだ。スローターダイクによれば、グローバルな資本主義は、一個の完結した「世界」であるような内部空間(室内空間)の構築と拡張を伴っており、その内部空間は独特の排他性を発揮する。「独特の」と言うのは、その内部空間は見えない境界線に囲われており、外部からは実質的には乗り越えられない、という意味である。この内部空間と外部の差異が、簡単に言えば、資本主義の勝者と敗者の区分に対応している。不可視の境界線に覆われた内部空間の隠喩として、透明なガラスの建造物は、まことに適切だ。
 この時期、つまり19世紀の中頃、このような「世界としての内部空間」の最初の完成の徴候が現われたという、スローターダイクの認定は、単に、たまたまその時期に象徴的な建造物が現われたということによってだけではなく、もっと着実な経済的データによっても裏付けられる。長い間──というか「種」としての誕生以来ずっと──人類にとって、最大の懸念事項は「飢え」であった。飢餓こそが、社会にとって最大の脅威だったのだ。ヨーロッパが飢餓に襲われた最後は、1846年から1847年である。このとき、天候の不順で、穀物の収穫量が減り、多数の餓死者が出た。特にひどかったのはアイルランドで、この飢餓が原因で減少した人口を、20世紀の冒頭でもまったく回復できていなかった(8)。しかし、ロンドン万博の5年前に起きたこの飢餓を最後に、ヨーロッパでは一度もこの種の深刻な食糧危機は起きていない。
 どうしてか。資本主義が、19世紀の中盤以降、この地球に、飢餓の脅威から解放された内部空間と、いつでも飢餓を恐れなくてはならない外部との分割をもたらしたからである。ただし、前者も、あらゆる危機から自由になったわけではない。というより、危機が別の種類のものに置き換わっただけだとも言える。新しいタイプの危機、飢餓に代わる危機は、不況や恐慌、そしてその究極の反転像であるところのハイパーインフレーションである。が、これらの資本主義に固有の危機は、今は関係がない。飢餓のような、動物としてのヒトに一般的につきまとう危険から隔離されている内部空間と、どんなに順調なときでも、飢餓と隣接していることを忘れることができない外部、この二種類の空間に、地球は分割されたのである。資本主義によって。
 スローターダイクが適確に指摘しているように、資本主義的な内部空間には、球体(globe)のような内部空間には、対照的な二つの性質がある。一方では、それは、どんどん拡張する傾向をもっており、外部にあったものを、(飼いならした上で)取り込んでいく。しかし、他方で、それは、自己完結的で排他的であり、自らを外部から切断しようともする。この二側面をもった内部空間と外部の関係を、マルクスの用語で表現すれば、階級対立ということになるだろう。それは、地球的な規模の階級対立だ。
 さて、パリでの同時多発テロのことをもう一度思おう。このテロは、パリを含む「われわれ」の住んでいる場所が、スローターダイクが記述したような内部空間であったことを思い知らせてくれる。飢餓、あるいはホモ・サケル化された人々の殺戮を伴う紛争、こうしたことを、われわれは知ることにはなるが、普通は、メディアを通じて、たとえばテレビの画面やインターネットの情報を通じてのみ知る。それらは、われわれの「現実」の一部ではなく、外部に属することだからだ。だが、内部空間と外部の分割は完全ではない。両者を通底する回路が隠れている。そのために、テレビの画面の中でしか起きないはずだと信じていたことが、まさにここで起きることがある。それが、パリのテロである。
 この状況を克服するにはどうしたらよいのか。内部空間と外部との分割が、地球的な階級対立であるとするならば、それが招来する危機を克服するための唯一の方途は、階級を横断する連帯しかない。

(1)ゲンロンカフェ(東浩紀主宰)に呼んでもらったとき(11月18日)、東浩紀さんがまったく同じことを語っていた。私はこれに深く共感した。
br /> (2)厳密には、「人権宣言」の「人権」は、「人間と市民の権利」となっている点が興味深い。それは人間の権利なのか、市民の権利なのか。どうして、それらが同一視されているのか。
(3)以下からの引用。http://www.newsweek.com/slavjo-zizek-paris-attacks-396085
(4)パリの同時多発テロがあった日の前日に、レバノンの首都ベイルートでも、連続爆破テロがあり、45人が死亡し、およそ240人が負傷した。このテロに関しても、ISは自ら犯行声明を出している。しかし、こちらのテロは、パリのテロのようには、国際的な話題にはならなかった。悲しいことに、レバノンでは、その種のテロは日常の延長だからだ。かつて、つまり紛争が勃発する1975年より前の、第二次世界大戦後のある時期、レバノンは美しく、「中東のパリ」と呼ばれていた。このことを思うと、今起きていることは、まことに皮肉なことである。レバノンは、今でも、中東のパリなのだ。ただし、「パリ」の前に、「裏返しの」という形容が付くのだが。
(5)ジョルジョ・アガンベン『ホモ・サケル』高桑和巳訳、以文社、2007年。『例外状態』上村忠男・中村勝己訳、未来社、2007年。
(6)以下をも参照。Giorgio Agamben, Stasis: Civil War as a Political Paradigm, Stanford University Press, 2015.
(7)Peter Sloterdijk, Im Weltinnenraum des Kapitals, 2005→In the World Interior of Capital, Polity, 2013.
(8)1841年のアイルランドの人口は820万人だが、1901年には450万人だ。1846年から47年の飢餓で、少なく見積もっても100万人が餓死したとされている。飢餓の難から逃れようと、アメリカやイングランドに移住した者もたくさんいた。つまり「難民」である。この難民の移住が、餓死と並ぶもうひとつの人口減少の原因である。

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