好きを仕事にする。
耳ざわりのいい言葉である一方、それは自分の道を探そうとする人たちにとって縛りをかける言葉にもなりうる。好きを仕事にしたらいいと気軽に言う人は多くても、好きを仕事にしていく方法をきちんと教えられる人は滅多にいない。
四十年前、料理が好きで暇さえあればお菓子ばかり作っていた高校生の私は、菓子職人になろうとしていた。大阪の調理師学校からパンフレットを取り寄せ、夏休みを利用して体験入学も参加した。しかし親や教師の反対もあり、結局は専門学校をあきらめて大学に進学。漠然とした「好き」を仕事にするためのはっきりとしたイメージが持てなかった。その後新卒でメーカーに就職し、辞めた後はフリーのライターとなって、長年料理とは無縁の仕事をすることになる。
『料理人という仕事』の著者である稲田さんもまた、若い頃に料理人の道を目指すが一笑に付され、大学進学、企業への就職を経て料理の世界へ入っていったと本に書かれている。私とは年齢差があるとはいえ、まだ料理人という仕事が今ほど華やかな職業ではなかった頃だ。思えばすべての職業の貴賤が今よりずっとはっきりしていた。料理人や菓子職人は年頃の娘が就く先として、親が手放しで喜ぶ職業ではなかったのだ。
二〇二四年の今、料理人は愛される存在になり、多くの女性シェフやパティシエも活躍するようになった。インターネットも料理の仕事に就きたいという人への門戸を大きく広げた。今の時代なら、私は高校卒業を待たずにお料理ユーチューバーになっていたかもしれない。だがこうした時代の流れがあり、働き方への多様化が進んだ現代でも「好きを仕事にすること」が相変わらず難しいのはなぜだろう。
本書で、稲田さんはまるで自分の店にやってきた料理人志望の若者を指導するかのごとく、彼らが考えるべきことやるべきこと、飲食店で起こりうることをひとつずつ教えてくれる。料理人の道を踏み出すのにどのルートから入るか、料理人に向くのはどういう資質を持った人間か、修業は本当に必要なのか、仕事は何からはじめるか。どこかに存在する飲食店の情景が、匂いまで連れてくるかのようにリアルに立ち上がる。
やがて見えてくるのは、時代が変わっても料理人にとって必要な本質は変わらないという仕事観だ。たとえば我慢強く手際よく下準備や片付けをすること。予算の制限を理解すること。客の心理や好みをよく観察し、ともに店づくりをする仲間との関係を築くこと。クリエイティブな料理は、表からは見えない地味な仕事を積み上げた土台の上にあるものだという言葉には、戦場に近いであろう飲食店の現場を日々こなし続ける人間からしか出ない説得力がある。
あの頃の私がもし親の反対を押し切っていたら、果たして私は菓子職人になれただろうか。たぶんすぐに挫折していたに違いない。かつて好きを仕事にできなかった私がなぜか今、スープ作家という肩書きで食の世界の片隅にいられるようになったのは、もちろん運や周囲の人の力添えもあるにせよ、仕事や子育てなど一見食とは無関係な下積みで培ってきたものがあったからだろう。
「これは、これから料理人になりたい人のための本です。しかし同時に、あらゆる『仕事』に携わる人々のための本でもあります。特に、自分が好きなことを仕事にしたい人、している人にとっては、ある意味身につまされる内容になるはずです。」
この冒頭の言葉をそっくりそのまま添えて高校時代の自分に送りたかったが、それは違うと考え直した。若い人たちにとって、この本にあるようなことを本からではなく現場の体験、つまり自分の目や耳や心で受け止めることこそが、仕事の本質の理解につながる。この本を読むべきはむしろ、若い力を導き、仕事とは何かを伝える大人たちの側である。その意味では大人がきちんと大人らしくあるための一冊といえるだろう。