移動する人びと、刻まれた記憶

最終話 放浪の医師②
元NATO軍軍医、ドクター・チェ(後篇)

韓国史・世界史と交差する、さまざまな人びとの歴史を書く伊東順子さんの連載最終話の後篇です。韓国からベルギー、モロッコ、コンゴ、スウェーデン、ドイツ…元NATO軍軍医チェさんの放浪は続きます。

1971年、ついにベルギー国籍取得、アフリカへ
 とても、焦っていたという。ベルギーに来た時は20代だったチェさんもいつの間にか40代、欧州の手厚い奨学金制度によって学業だけはつないでこられたものの、身分は不安定なままだった。韓国への帰国も挫折、米国への移民も断念、朝鮮半島の政治状況も悪化する中、行動は自ずと制限される。
 その頃の韓国は朴正熙大統領による独裁体制が強まる中で、国外でも韓国中央情報部(KCIA)が暗躍していた。チェさんが一時帰国した前年の1967年には、西ドイツ在住の音楽家ユン・イサン(尹伊桑)やフランス在住の画家イ・ウンノ(李應魯)等の芸術家や留学生らが「北朝鮮のスパイ」としてKCIAに連行される事件も起きていた(東ベルリン事件)。北朝鮮に家族を残しているチェさんは、自分の出自や本名などをできるだけ公にせずに暮らすようになったという。
 そんな八方塞がりの彼に、朗報がもたらされたのは1971年だった。ついにベルギーの市民権が認められたのだ。国を出て17年目のことだった。
 「17年もかかったんですか?」
 インタビューに同行してくれた、ベルリン在住の友人(結婚でベルギー国籍を取得)はとても驚いた様子だった。
 「本当に長い時間でした。ベルギー人と結婚すれば、それは難しくなかったのでしょうが、私の場合は独身だったし、金もなかった。しかも当時、国籍取得の審査は公開制でした。『この人物がベルギー人となることに賛成するか?』写真付きで、政府広報に掲載されて、役場に貼り出されるのです」
 当時としては珍しかった東洋人の写真に、ベルギーの人々はどんな反応を示したのだろうか。それも大変興味深いのだが、先に進む。

流浪の医師
 国籍を取得したことで、やっと就職もできるし、これで安定できるだろう。チェさんは安堵したが、そうは問屋がおろさなかった。安定どころか、さらに狂ったような流転が待ち受けていた。ベルギー旅券を持った彼の最初の就職先は地中海の向こう側、アフリカ大陸にあるモロッコ王国だった。
 「すごい砂吹雪でね、目も開けていられなかった」
 そこから南下して、赤道直下のコンゴ民主共和国(当時の国名はザイール共和国)へ。
 「ものすごく暑かった。病気になってしまいました」
 ベルギーに戻り健康を取り戻すと、イギリスに渡って人工関節を学び、そのままヨーク州の病院に採用された。
 「ところが、外国人医師の給料は信じられないほど安くて……」
 将来が不安になったチェさんが次に向かったのは、スウェーデンのストックホルムだった。
 「ものすごく寒くてね」
 それはそうでしょう……。 私も友人も狐につままれたような顔をしていたと思う。韓国の占い師なら「とんでもないヨンマッサル(駅馬=流浪の運命)」と言い放っただろう。彼は自分自身の正式な生年月日を知らないが、優秀な占い師なら、ここからパルチャ(八字=運命)を逆算して、生まれた時間までを導きだすかもしれない。
 彼は「流浪の医師」という言葉を自嘲的に使ったが、流れるどころではない。弾かれ続ける、まるでピンボールの玉のようだった。
 しばらくして、西ドイツのNATO軍の病院から彼に、「待遇の向上と将来の保証」を約束したオファーがあった。
 「ありがたい申し出でした。ドイツの気候は私に合いますし。半年ほどドイツ語を勉強した後で、勤務につきました」
 そこで看護師として働いていた妻のリアさんと出会い、結婚をした。 故郷の家を出て四半世紀、やっと安住の場所を得た。まだ最終ゴールには達していないが、それでも心休まる家と新しい家族ができた。

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