移動する人びと、刻まれた記憶

最終話 放浪の医師②
元NATO軍軍医、ドクター・チェ(後篇)

韓国史・世界史と交差する、さまざまな人びとの歴史を書く伊東順子さんの連載最終話の後篇です。韓国からベルギー、モロッコ、コンゴ、スウェーデン、ドイツ…元NATO軍軍医チェさんの放浪は続きます。

ヨーロッパと朝鮮半島の同時代体験
 「ところで、あなた達も国際結婚ですか? パートナーと仲良くやっていますか?」
 チェさんからの突然の質問に、私たちはしどろもどろになった。
 「国際結婚というか、国際離婚というか……。まあ、いろいろ難しいですよね」
 「そうでしょう、実は私と妻も価値観が合わなくて困っています」
 仲のいいご夫婦だと思っていたのに、どうしたことか。ただ、話を聞いてみると、それは国や民族の違いとも言えないような気がしてきた。
 「実は私もそう思っていたのです。価値観の違いは世代の違いではないかと。私は同世代のヨーロッパの人々とはわかりあえる部分が多いのです。例えば物を大切にするとか。大戦後のヨーロッパはとても貧しかったですよ。ドイツはもちろんですが、フランスやベルギーだって。みんな生きのびるのに必死だったのです」
 戦後生まれの妻と日常的に些細なことでぶつかるというチェさんは、その後話の中でハイデッガーの『存在と時間』の一節を持ち出した。
 私は思いっきり言葉に詰まった。いきなりの哲学……。でも、考えてみれば彼の世代のヨーロッパの知識人にとって、それは普通の日常会話なのだろう。これは持ち帰って勉強するしかない。そして「年の離れた妻にはわからない」と彼が言う戦後ヨーロッパの荒廃についても、私はあまりにも無知だった。

「解放軍も外国軍だった」
 あらためて言うまでもなく、第二次世界大戦はアジアとヨーロッパが主な戦場となった。ヨーロッパではナチスドイツによるポーランド侵攻がその始まりであり、イギリスを除くほとんどの国がドイツに占領された。そこで何が行われたかは、私たちアジアの人間でも、子供の頃に読んだ『アンネの日記』などで断片的には知っている。その後に、連合軍によるノルマンディー上陸作戦が成功し、ドイツ軍が降伏したという歴史も知っている。
 でも、「大半のヨーロッパ人にとって戦争は受け身」であり、「占領軍だけでなく解放軍も外国軍だった」という指摘にはハッとした。そして、長らくそれは「うしろめたさ」を伴うものだったという。(『ヨーロッパ戦後史』〔トニー・ジャット著・森本醇訳、2008年〕)。さらにここには、ベルギーの政治家で国連総会初代議長を務めたポール=アンリ・スパーク(1899~1972)の言葉もあった。
 「戦争の中で、ベルギー人もフランス人もオランダ人も、騙すこと、噓をつくこと、闇市で売り買いすること、人を疑うこと、人をたぶらかすことが、自分たちの愛国的義務だと信じるようになってしまった。5年のあいだに、これがすっかり習慣化していた」
 アンネ・フランクの家はオランダの首都アムステルダムに、今も記念館として残されている。彼女たちをかくまった人も、密告した人も、連行した人も、みな戦後のオランダで同じ国民として、生きていかなければならなかった。 彼らにとっては戦後もまた「もう一つの戦争」であった。
 パリやブリュッセルが連合軍に解放された頃、チェさんは日本統治下の朝鮮半島にいた。わずかな時差で、そこにも「解放軍」がやってきた。「同世代のヨーロッパ人への共感」とチェさんが言うのは当然かもしれない。他民族による支配を経験し、さらに外国軍による解放も目の当たりにした。しかも、アフリカの植民地さながら国土が直線で分けられ、その北部ではソ連軍に占領された東ヨーロッパと同じ体験までしたのだ。
 そして、朝鮮半島では「もう一つの戦争」が実際の戦争となり、チェさんをベルギーまで運んできた。

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