単行本

今を生きる住宅地の物語
『ソヨンドン物語』(チョ・ナムジュ 古川綾子訳)書評

『82年生まれ、キム・ジヨン』の著者チョ・ナムジュの邦訳最新作『ソヨンドン物語』。この連作短編小説を、韓国の不動産事情の現実とともに、作家・中沢けいさんが読み解きます。

 ふつうの人のフェミニズムと評された『82年生まれ、キム・ジヨン』の著者チョ・ナムジュは、情報の扱いにたけた作家だ。テレビニュースや新聞で報じられる社会現象を、人間の顔を持った一人の人物として造形し、いきいきとした情景の中に描き出す手腕に富んでいる。そのチョ・ナムジュが、投資物件として価格高騰したソウルのマンション群を描くのだから、自然と期待が高まってしまう。そしてその期待は裏切られず、しかも期待以上の面白さを感じさせてくれたのが『ソヨンドン物語』だ。
 ソウルでも東京でも住宅取得というテーマは人生の大きなドラマであり、冠婚葬祭以上に人の価値観と運命を左右するものだ。物語はソウルのソヨンドンに住む人々を短編連作のかたちで描く。ソヨンドンは架空の街だそうだ。ソウルの象徴でもある南山タワーが見える街で、漢江(ハンガン)の北側に位置する旧市街の一画がソヨンドンである。かつては、町工場と安価な飲食店と軒を寄せ合う小住宅がひしめく街だった。作品には書かれていないが、漢江の南側の江南(カンナム)は九〇年代から住宅開発が盛んで、漢江沿いに高層住宅が並ぶ景色が出現していた。二〇一二年にはPSYが歌う「江南スタイル」が世界的流行をしたことを記憶している人も多いだろう。漢江北側の旧市街の再開発が始まるのは江南よりあとだ。
 再開発が様々な問題をもたらすことはソウルも東京も変わりはない。住み慣れた土地を追われる人々、新しく入居者となった人と人の軋轢と摩擦が『ソヨンドン物語』にもよくある出来事として描かれている。日常の経済感覚を越える規模のローンを組んでマンションを購入した人々は、子の世代の社会階層の上昇を望み、教育熱心だ。過剰なくらいに教育にエネルギーを費やす。国家の経済が右肩上がりで、マンションを購入すれば必ず値上がりを見込めた世代の時代はすでに終わっている。高度成長期には、大きなローンを組んで手に入れた家を売り、さらに良い家を買うこともできた。運が良ければ不動産の値上がり分を生かし自分で住まう以外の資産としての物件を得ることもできた。が、現在はもっと複雑なことになっている。不動産物件の価格は上がるとは限らない。高騰したかと思えば、下落もする。
 家は家族が快適に住み、そこで暮らし、思い出を紡ぐ場所だというシンプルな考えは、不動産価格の乱高下の前では通用しにくくなっている。家が不動産として扱われたとたんに、高騰したり下落したりする物件になってしまう。その先にあるのは、国家経済の状況を反映する株式市場であり、世界の政治情勢を反映する為替市場だ。住まいが不動産という目で見られた時、その価値は乱高下する。家族の人数に合わせた快適な住居に住みたいというなんでもない望みが、人生の悲運を招きかねない危険を帯びている。住居の買い換えを相談された不動産屋の社長は、購入可能な物件をすすめながら、ここ数年は価格の変動はないから大丈夫だということを話す。そして「戦争でも起きないかぎり」と付け加える。この一言の重みは、朝鮮戦争が休戦状態であるソウルでは、東京よりもはるかに重いものがある。いや、東京にもその重圧はかかっているのだが、東京の住人はそれを忘れているだけかもしれない。
『ソヨンドン物語』を読みながら、私自身がマンションを購入した時のことをまざまざと思い出した。同じマンション内で、より広い家への買い換えだった。電卓を片手にローンの返済計画を練る。メジャーを片手に新しく購入した家へ出向き、家具が入るかどうかを考えてみる。時には購入した家のリフォームが終わったあとの楽しみを計画して、一人でにやにやと笑ってみることもあった。かと思えば、なにかでローンの返済ができなくなったらどうしようと、とんでもない不安に駆られることもあった。実に様々なことを想起させる短編連作『ソヨンドン物語』である。