私が初めて『シベリヤ物語』を手に取ったのは、2013年の秋、大学4年生の時である。今回の文庫版の編者である堀江敏幸先生が講義で扱ったことがきっかけだった。大学生協でも都内の書店でも手に入らなかったが、神保町の古書街で、カバー欠品の、薄緑色の背表紙が手垢で黄ばんだ本を発見し、意気揚々と講義に持参したのだった。
タイトルを見て、私は当初、シベリア抑留の悲惨さを後世に伝える目的で書かれた作品だと考えた。しかし『シベリヤ物語』は、戦争の悲惨さにのみ視線を注ぎ続けるのではなく、シベリアを流転する中で出会った、忘れがたい人々を描いていた。作品中に登場する「白」色のイメージは、死のモチーフであると同時に、生と光のモチーフでもある。初めて読む人は、光あふれる文体にまず驚くことだろう。
今回の文庫版が面白いのは、エッセイ・短篇・詩を増補し、『シベリヤ物語』の世界観に、裏地を張っている点である。
増補されたエッセイの中に、次のような箇所がある。
「もし私が作家だとするならば、作品の中でしか自己を語らないだろう。そして、つぎつぎとその自己を否定してゆくだろう」(『シベリヤから還って』)
自己を語りながら、自己を否定するとは何か。私が思いあたったのは、『シベリヤ物語』の一人称の形である。
「ぼくらはシルカという町に十日ほど住んでいた。ぼくらは捕虜だったから天皇へいかみたいに護衛兵どもにつきそわれていた」(『シルカ』)
冒頭の一節である。「ぼくら」という一人称複数の形。シベリア抑留を経た著者による『シベリヤ物語』は、私小説に分類してもいいのかもしれない。それでも、この作品が私小説として奇妙なのは、最後まで読み通しても、「私」自身については、ロシア語の通訳が多少できるということ以外は、神秘に包まれている点である。主人公の名前すらも明かされない。
作品は「ぼくら」「私たち」の一人称複数で進行していく。そのうちに、読み手は「ぼくら」「私たち」の中に、自分自身の顔を見出していく。「ぼく」に長谷川四郎の顔を、「ら」に自分自身を委ねていたつもりが、いつしかその境界が曖昧になり、名前すら知らない「ぼく」はシベリアの旅の終わりとともに消えていく。現地での生々しい記憶と、自分だけがあとに残される。「自己を語りながら、自己を否定する」という長谷川四郎の私小説は、「私のいない私小説」と言えるかもしれない。
『シベリヤ物語』の中には、『勲章』という異質な作品がある。この作品だけは、主人公は「佐藤少佐」という俗な人間に託される。今まで一人称複数の愉しみに浸っていた読者は、ここでいったん宙ぶらりんになる。結末に向かうにつれて、当初軽蔑していた「佐藤少佐」は、戦争という呪いをかけられた自分自身だったのではないかと思うことになるのだが、それでもやはり、いきなり役割を取り上げられたかのような感覚があった。
前出のエッセイの中に、こんな言葉があった。
「私がもっともいいと自分で思っているのは、『勲章』という一篇である。これはだれもが問題にしてくれないか、或いは悪作だとされているので、私はますますもって、これがあの中の傑作だと思うようになった次第である」
その異質さから、私自身も『勲章』は『シベリヤ物語』にふさわしくないのではないかと考えていた。しかし、ひょっとするとそれは、長谷川四郎にとって「佐藤少佐」が唯一自分自身を生々しく投影させた主人公だったからかもしれない。私は、「私のいない私小説」の空席に、初めて長谷川四郎自身を見たような気がした。
『シベリヤ物語』には、ロードムービーの要素もある。貨車に乗せられて、緯度と平行にシベリアを移動していく先には、見たこともない景色と人と、新しい労働が待っている。
移動するたびに、あらゆるものが姿を消していく。排泄物、懐かしい人、動物、物、白樺の木。しかし姿を消しても、それは見えなくなっただけで、「私たち」とともに旅を続けているようである。
希少本として姿を消しつつあった『シベリヤ物語』が増補の形で編み直され、長谷川四郎という作家の魅力が再発見されることは大きな喜びである。
長谷川四郎著/堀江敏幸編『シベリヤ物語――長谷川四郎傑作選』について、詩人のマーサ・ナカムラさんがエッセイをご執筆してくださいました。シベリヤ抑留から帰国した長谷川四郎が残した戦争文学の名著『シベリヤ物語』にエッセイや詩を増補した本書を、マーサさんはどう読まれたのか。ぜひお読みください。(PR誌『ちくま』8月号から転載)