紙子と学校

都心の一等地にあり、帝に仕えるための特殊技芸者を養成する中高一貫の女子校・玉笛女子学園。中等部に入学し寮で同室となった紙子と陽子は、不思議な先輩や先生たちとの交流を通じて成長していく。気鋭の詩人による和風学園ファンタジー、ここに開幕!(カット:鯨庭)

 小瓶の中で、小さな火が揺れている。
 蓋は固く閉じられ、さらに呪符が口を覆っている。
 炎は、酸素がなければ燃え上がらない。瓶も破裂するだろう。
 繭彦は、底を土に埋められた小瓶に触れてみた。宝玉のように冷たい。
 つまりこれは、酸素を餌とすることで、光と熱を放つ本物の火ではない。なにか代わりのものがこの小瓶のなかに封じられていて、光を放つだけの餌を与えられているのだろう。呪符を見ると、水や手垢で擦れた痕跡もない。また、筆跡を見れば、それが朱彦の手によるものであることがわかる。朱彦の筆の「はらい」の形には、特徴がある。筆が離れる瞬間に、かすかに揺らいだような膨らみがある。
 その人が書いた文字は、口ほどにものを言うものだ。京都の書写山で修行を積み、やがて東北で開祖した先祖の流れを受ける繭彦は、耳に流れ込んでくる音や言葉と同じくらい、筆で書かれた文字を目で見てきた自負がある。なぜなら、それが繭彦の宗派の実践の一つだからだ。口から出る言葉は信用できないが、その手からつづられた文字を見れば、その人間の人となりがはっきりとわかる。
 繭彦が小瓶を手に取ると、二人の影が大きく動いた。そして、朱彦が振り向いた。
「これ、新しいやつ?」
「ああ、先週、夜狩のときに見つけた生き霊を、空瓶の中に封じ込めた」
「陰陽師って怖い。曲がりなりにも、人の魂をさ」
 朱彦がじろりと繭彦の方を見る。繭彦はおちょくったような笑みを口に浮かべている。
「いろいろな考え方がある。ただし、逃すなよ。俺が大変なことになる。そいつは明らかに、内裏にいる人間に向かって放たれた生き霊だからな」
「はいはい」
 繭彦が小瓶を再び土中に戻そうと目線を落とした時、朱彦が急に肩を小突いた。
「あそこ、見てみろ」
 夜の鎮守の森は、闇にさらに墨を含ませたような色をしている。ある一箇所の葉の隙間から、夜空に向かって青い光線が伸びていた。糸のように細いが、途中で切れない。光は脈打つように弱まり、強まる。空から地上へと垂れ下がる静脈にも見える。
「玉笛か。電気の光じゃなさそうだ」
「あんな光は、見たことがない。どこの家の業(わざ)なのか、見当もつかない。あの下できっと、異常事態が起きている」
 そこまで呟いて、朱彦は黙った。繭彦も顔を顰める。
 朱彦が制服の胸元から、小さく折り畳んだ白紙を取り出した。指でたぐるように白紙を広げる。白紙はどこまでも大きくなる。やがて後ろ足で蹴り上げながら紙の上にのると、黒と赤の筆文字が踊る呪符を、先端に貼り付けた。巨大な太筆が墨汁を吸い上げるように、呪符から黒い墨が滲んで広がっていく。四隅が墨色に浸ったとき、紙の底が重たげに膨らんだ。紙は破れず、それはそのまま巨大な黒鳥の胸になった。

 

 この夜闇の中では、黒鳥が前を向いているのか、後ろを向いているのかもわからない。ただ、黒鳥の背に乗った朱彦の顔がこちらを向いた時に、黒鳥の丸い瞳が輝いた。
「早く乗れ」
「これ、カラス? 僕、ハウスダストアレルギーなんだけど」
「カラスじゃない。黒鳩(クロバト)だ」
 こんなに大きくなれば、カラスも鳩も何が違うのかわからない。ただ巨大な鳩の上に乗ってみると、鳩は自らの呼吸の拍子をとるように、低く鼻歌を歌っているのが首元の震えからわかった。
「死に損ないの鳩の魂を、この札に入れ込んだんだよ」
 朱彦は、どこか得意げに見える。大体、魂をまるで道具のように活用すること自体が、密教の修行を積む繭彦にとっては、相容れないものなのだ。
「陰陽師って、やっぱり嫌だ。こうして朱彦に脅されなかったら、絶対乗らない」
「落ちるなよ」
 朱彦が鋭い声を鳩に浴びせた途端、巨大な黒鳩は見えない鞭で打たれたように、青い光線の見える方角に向かって滑空飛行した。

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