紙子と学校

都心の一等地にあり、帝に仕えるための特殊技芸者を養成する中高一貫の女子校・玉笛女子学園。中等部に入学し寮で同室となった紙子と陽子は、不思議な先輩や先生たちとの交流を通じて成長していく。気鋭の詩人による和風学園ファンタジー、ここに開幕!(カット:鯨庭)

 黒鳩は鬱蒼と繁る葉の隙間を縫って、いちど木の枝に止まったが、葱を折るような音をたてながら枝が落ちてきたため、草の上に降りた。その際に、黒鳩の胴体が周辺の細い木枝を降り破り、朱彦と繭彦の頭の上に、不自然な森の穴が空いた。
 先ほどの青い光線は、もう見えない。呪符を剥ぎ取ると、黒鳩は消え失せて、ただ一枚の紙切れだけが草の上に落ちた。朱彦はそれを素早く拾い上げて、また胸元の隠しにしまいこんだ。
 森の静寂に耳を慣らすと、鳥と虫、枝葉が落ちる音の向こうで、たしかに言葉を交わし合う人の声が聞こえてきた。朱彦と繭彦はうなずきあって力強く歩き出した。
 血のにおいが鼻をつく。長く伸びた青草の根を踏んだ時、奥の人影がこちらを振り向いた気配があった。
「朱彦、繭彦か」
「窟穴彦! お前、なんで玉笛にいるんだよ」
「どうりで、どこもかしこも見覚えがないわけだ」
「さっさと遥拝を済ませて帰ろうよ。朝までに戻れば、ビリから二番目くらいにはなれるかも」
「待ってくれ。二人に紹介したい人がいる」
 窟穴彦の影に隠れるように、一人の少女が震えながら白い顔を上げていた。
「玉笛女子に通う、紙子さんだ」
 窟穴彦のあまりの悠長さに、繭彦は思わずよろめいた。朱彦の方を見ると、驚いたように目を見張っていた。
「紙子? 『かみ』は、『白い紙』の紙と書く?」 
 須城の上級生から問いかけられて、紙子はスカートについた土をはらいながら、慌てて立ち上がった。
「はい。一枚二枚と数える『紙』で、紙子と書きます」
「俺は、朱彦だ」
「朱彦?」
 紙子は目を大きく見開いた。
「ああ、そうだ。やっと会えたな。紙子」
 二人、何も言わずに向き合っている。朱彦の口元に、かすかな笑みが浮かんでいる。
 朱彦のこんな表情を見るのは、繭彦も窟名彦も初めてだった。
 紙子は呼吸も忘れたように、朱彦を見つめている。
「この子と知り合いなの?」
「俺の妹だ」
「全然朱彦に似てない。陰陽師の妹か」
「似てなくても、正真正銘の兄妹だ。それに、紙子は陰陽師じゃない。父さんの仕事を継いで、宮中に来たんだな」
 紙子は、一歩、二歩と後ろへ下がっていった。自分たちと距離を取り始めた紙子を見て、朱彦が声をかけた。
「それにしても、紙師ならとっくに消灯時間だろう。さっきの怪しげな青い光を、お前も見たか。早く寮へ帰れ。最近人為も、変な動き方をしている」
 紙子は何も答えず、顔を背けている。先ほどから黙り込んでいる紙子を、朱彦は怪訝そうな顔つきで眺める。
「心配だから、寮の近くまで送る」
「いい」
「おまえ、まさか、非行しているのか」
 紙子の背後で、濡れた土に錐(きり)を刺すような音が鳴った。
 生温かな風が吹いた。朱彦の視線が、糸で引かれるように、紙子の背後へと向かった。
「お前たちはさっさと大山へ行け。おれが紙子と行く」
 声変わりのしていない少年の、明るい声が響いた。そこには、犬よりも大きな山猫が、夜の森に擬態するように、木の根本に伏せていた。
 一目見て、異様な山猫だとわかった。気配がない。地面に落ちた枯れ枝や紙きれが、突然意思をもって立ち上がったかのような空気を出していた。顔つきからかろうじて山猫だとわかるが、体の紋様は、まるで山中の生き物の皮を寄せ集めて。つぎはぎにしたかのようだ。白蛇の鱗に似た箇所すらある。胸元に、青い光が揺れているのが見えた。
「なんだこいつは。紙細工か?」
「朱彦。この山猫は、人為に喉もとを食われて死にかけていたところを、紙子さんに助けられたんだ。俺は、その一部始終を見ていた」
 窟穴彦の説明に、朱彦は首をかしげた。
「助けた? 紙師に傷を癒す力はない。それに、今あの山猫の胸に光っているのは、紙細工に宿る光だろう」
「そいつは、普通の山猫じゃないらしい。元々は、八瀬童子だと言っていた」
「阿呆。嘘に決まっている。人語を話す獣は、第一怪しすぎる。捕らえておかないと、後で面倒ごとになりそうだ」
 朱彦は懐から小瓶を取り出して、瓶口を山猫の方に向けた。朱彦の手元を、山猫は獣らしからぬ、皮肉たっぷりの顔つきで眺めている。
「おれは人間なんだから、人の言葉を話すに決まっているじゃないか。猫語を話せば、見逃すのか? 手あたり次第標本にしたがるお前は、陰陽師か。陰陽師とはよくやりとりをしていたから、よく知っている。顔に見覚えがあるぞ。女の陰陽師とともに、よく屋敷を訪れていたな」
 ややあって、朱彦は小瓶をおろした。
「烏山にいたことだけは、間違いなさそうだな」
「そんな化け猫、放っておこうよ。朱彦の収集癖には、僕もうんざりしてる。窟穴彦からも、言ってやってよ」
「俺は、どちらにしろ、紙子さんを、朱彦と共に寮まで送ろうと思う」
「窟穴彦。本気で言ってる?本当にビリになるよ」
「『三人組』は順位を競うものじゃない。大山遥拝を終えて、三人揃って戻ればいいんだ」
 山猫は立ち上がって、紙子の後ろ腕に顔をこすりつけた。紙子は反射的に、山猫の首に手を回して、喉のあたりをなでてやった。毛は血で固くなっているが、傷口は完全に塞がっている。山猫の視線は、朱彦に注がれている。朱彦も、山猫から視線を逸らさない。そのまましばらくして、朱彦が小さなため息をついた。
「大体、状況がわかった。その山猫を、今から『龍泉(りゅうせん)』へと連れていく」
「龍泉?」
 紙子は思わず復唱した。山猫からの問いかけに先に反応し、図らずも命の主従関係を結んでしまったいま、山猫を目の届かない場所に連れていかれることに不安がある。
「『龍泉』は、すべての呪いを解く霊泉だ。龍泉にそいつをぶちこめば、正体がわかるからな。詮議はそれからにしよう。紙子。お前も来い」
「私も?」
「お前も龍泉に浸かれば、紙細工との主従関係も解けるぞ」
 言い当てられて、思わず言葉に詰まった。
「この国には、『龍穴(りゅうけつ)』と呼ばれる場所がある。大きなものは二つあって、一つは西宮御所に、もう一つは、この宮廷の下にある。龍穴の中に、龍泉がある。龍穴は日によって場所が動くが、俺の専門は、卜(うらない)でもある。龍穴につながる龍脈(りゅうみゃく)を探るのは、朝飯前だ」
 朱彦が差し出した手には、三角柱の先を下にした水晶がぶら下がっていた。見えない糸で釣られるように、左右に揺れる水晶は、ある一点では、ぴたりと垂直にその動きを止めるのだった。
「朱彦。僕は、絶対に嫌だからね。一人で行けばいい」
「繭彦。何も言わずに、手伝ってくれ」
 繭彦は黙り込んだまま、朱彦の後ろについて行った。

(つづく)

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