ちくまプリマー新書

戒名によって死者の輪郭を明瞭にする日本と、デス・ネームで死者の存在をあやふやにするプナン
『ひっくり返す人類学』より本文の一部を公開!

「そもそも」を問うことで問題を定義し直し、より本質的な議論に導くことをめざした『ひっくり返す人類学――生きづらさの「そもそも」を問う』より本文の一部を公開します。日本の「死」とプナンの「死」の違いを見てみましょう。

人が死ぬと残された家族の名前が変わる

 プナン社会には、人が死ぬと残された近親者たちが名前を変える「デス・ネーム」という習慣があります。それはたとえば、こんなふうです。ブニという男にはブウォという妻がいました。妻ブウォが死ぬと、ブニは「アバン」と呼ばれるようになりました。その後、アバンはアニという名の女性と再婚し、再びブニとなりました。これはブニに限ったことではなく、妻を亡くした夫であれば誰であろうとも、アバンと呼ばれるようになります。その後、再婚すると、ふたたび本名へと戻るのです。

 子どもが亡くなった場合にもまた、その子と関係がある家族・親族は、名前を変えます。第一子が死んだ場合、父母ともども「ウユン」という名前になります。父母は第二子が死んだ場合、「サディ」、第三子は「ララー」、第四子は「ウワン」……という名前に変えられます。そしてしばらくしてその母が死ぬと、やもめとなったその父はふたたび「アバン」と呼ばれます。このように、プナンは死を契機として名前を変えるのです。

 一般に「デス・ネーム」として知られる、プナンを含むオラン・ウル(山の民)と総称される先住民の習慣を、プナン自身は、「名前を変える(ngeliwah ngaran)」と呼んでいます。はたして何のために、そんな習慣があるのでしょうか? 名前とはいったい何かという点から探ってみることにしましょう。

 プナンにとって人間は、身体、魂、名前の三つの要素を備えた存在だとされます。人間を構成する三つの重要な要素のひとつとして、名前があるわけです。イギリスの人類学者ロドニー・ニーダムは、その三つの要素とそれらの相互の関係を描いています。人間には身体と魂があり、しかしそのふたつの要素の結合は不安定なものです。それらをしっかりと結びつける接着剤のような働きをするものこそが、名前なのです。いや、接着する役割をもっているだけではありません。名前は、名づけと名づけられること以上の重要性を持つ、身体と魂と並ぶ存在(者)の構成要素なのです。

 その名前が、身体と魂をしっかりとつなぎ止めておく役割を果たすために、何かが起こるたびに新たな名前が必要であるかのように、人の生活史の中でころころと変わるのです。

 ニーダムはまた、そのことを以下のように説明します。

[プナンは]生涯に何度も自分の名前を変えることがあります。病気その他の危機的状態の際に名前を変えるのが普通であるため、その人間の当面の名前は永続的な個人性の指標というよりはむしろ変化の証拠と考えることができる

 プナンは、重篤な病気に罹った場合に個人名を変えることを含めて、変化する名前とともに暮らしているのだとも言えるでしょう。身体と魂をしっかりとつなぎ止めておくのが名前だというよりも、名前を次々と変えていくという「刺激」のようなものを与えてやらないと、身体と魂はしっかりと定まらないのです。

 プナンが主体的に、自発的に名前を変えるのではありません。生や死に関わる出来事が、外側から名前を変えるように強いてくるのです。プナンの感覚からすれば、近親者が死ぬと、名前がどこか別の場所からやって来て、私の名前だけでなく、私の周りの人たちの名前をごっそりと替えてしまうのです。個人名はあるのだけれども、日常では口にされないので、それらはどこかに漂っているような、自分から離れてしまったような、不思議な感覚を催します。名前はそのうちに個人名に変わることもあれば、次に起きた死によって、別のデス・ネームに変わることもあります。

 このことを踏まえて次に、日本社会の「戒名」や「法名」の習慣と比較しながら、デス・ネームについて考えてみたいと思います。

日本の戒名とプナンのデス・ネーム

 日本では、死者に対して戒名や法名が与えられます。前述の島田は、戒名の成立の歴史的経緯を、次のように整理しています。

 戒名とはもともとは仏弟子となるために授けられた名前でしたが、時代が進むにつれ、仏教寺院に経済的な貢献をした人に院号・院殿号を伴って与えられるようになりました。その後、江戸時代に寺請制が広がると、人々は葬式、法事、墓地の管理を寺に委任するようになり、戒名、過去帳、位牌、法要を組み入れた葬送慣行が確立されます。一六世紀初めに書かれた『貞観政要式目』などの戒名の手引書を手本としながら、追善供養として死者に戒名を付けることが、日本社会に広く定着していったのです。

 それは、言い換えれば、それまで生きていた人の「不在」に対して名が与えられる習慣だとも言えるかもしれません。

 戒名に関して、宗教社会学者のヘルマン・オームスは、死者は生前の「俗名」を捨て独立した存在となり、新しい死出の旅を始める時に、「戒名」が授けられると言います。ヘルマンは、そのような過程を経て死者の魂は位牌と塔婆に入れられ、儀礼の対象となると捉えました。

 デス・ネームとの比較で述べれば、死者に名前を付けることは、死者の輪郭をはっきりさせた上で、祖先祭祀し(祖先を供養し祀ること)の対象とすることに関わっています。死者は死後に新しい名前を授けられることで、「新しい生命」を持った存在者として「あの世」にいるのです。そのことによって遺族は、仏壇や墓などを通して、死者を弔い祀ることができるようになるのです。

 それに対してプナン社会では、死者に新しい名前が付けられるどころか、死者の名前は口に出してはならないとされます。残された者たちの会話の中で、どうしても死者に言及しなければならない場合には、死体を埋葬するために作られた棺の素材である樹木の名前を用いて、「ドゥリアンの木の男(lake nyaun)」、「赤い沙羅の木の女(redukeranga)」などという言い方でヒソヒソとほのめかされるだけです。死者は無名化される傾向にあります。

 プナンは、死者の名前を呼ぶことを忌避して死者を無名化し、それと同時に、死者と関わりのある人々の名前をデス・ネームに変えてしまいます。日本の戒名との比較で言えば、プナンでは死者を死んだ存在としてくっきりと浮かび上がらせるのではなく、反対に、死者の輪郭を虚ろなあやふやなものとします。そして生きている人々の意識は、新しく個人名を与えて刷新された共同体に振り向けられるのです。



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