重箱の隅から

第28回 あれやこれや①

 エリック・ロメールの『冬物語』の中で素人の演劇同好会で朗読されるシェイクスピアの『冬物語』を読みたいと思っていたのだが、岩波文庫の広告を見たのは’22年なのに、なんとなく買いそびれていて、読んだのはつい最近のことだ。シェイクスピアの晩年の傑作、、、、、であるのはともかくとして、二幕第三場に、夫のシチリア王に、産んだ子供の父親は自分の親友のボヘミア王ではないのかと、激しい、根拠のない滑稽な嫉妬(ブニュエルの『エル』を思い出すほどの)のために疑われる王妃の嘆きの台詞がある。
「活字は小さいにもかかわらず、全体は/父親を紙に刷ったかのよう。(中略)この子を生みの父、、、、にこんなに似せて作った/自然の女神よ」(傍点は引用者。桒山智成訳)
「生みの父」という私にとっては初めて目にする言葉は、たぶん父をおやと読ませて、血のつながりのある実の父ということなのだが、どうも、あまり耳なれない言葉である。この5月、静岡県の知事選で、上川陽子外相の行った応援演説に「うむ」という動詞が使われ、おまけに新聞紙上では、漢字で書きわけて使われるのが普通の「産む」と「生む」を曖昧に口を濁して、平仮名で書かれていたのが気になっていたので、「生みの父」という、よく使われているのかどうか判断のつかない、初耳の言葉(辞書には載っていない)に、いささか戸惑ったのだった。
 産むではなく生むと書く比喩的表現にしたところで、いずれにせよ、何かを誕生させる数をふやすものとしての出産、分娩を意味する比喩であることに変りはない。そこで思い出したのが、今やすでに誰も思い出すこともないだろう、鮭の授精・産卵についての石原慎太郎の発言である。鮭のメスは産卵という生物的役割を果たした後に死ぬ事からの単純な推測で、子供を産めばメスの役割は終わるという生物学的な事実が、鮭ほどの時間的経済性はないものの、人間の女にもあてはまると言っているように取れる発言が、いつの事だったのか、どんな文脈で語られたのかも、実のところ、くわしくは知らないのだが(註1)、飼い猫のトラーが通院していた動物病院の女医さんが、経産婦のあたしたちは死ねってことでしょ、と息まいていたのを思い出す。
 なにしろ、鮭についてほとんどの人間は食料として認識しているのであり、かれこれ3、40年前、たしか、サラと名づけられたメス鮭(註2)の一生を語った科学読物的フィクションが話題になって、近所に住む知人の若い人妻が読んでいたのを覚えているが、私は読まなかったので、内容は知らない。この本を読んでいたら、生物学的常識としては鮭という生物が産卵・授精の後、メス・オスともに死ぬということを知っていたわけである。
 高橋由一の油絵はともかく、ソテー用の切身や、筋子、そして塩ジャケとしては猫またぎなどという軽侮的アダ名もあり、カン詰めとしてもなじみ深く、スモーク・サーモンとしても知られるこの食品というか生物は、メスが産卵をした後に死ぬという言説によっても知られているし、大型の、キング・サーモンなどというえらそうな名の種類もあるくらいだから、射精という生殖行為を行うのが1回かぎりで終わるわけがないと漠然と思われていたのかもしれない。そう言えば、60年以上昔、高校生の頃の友人(男子)は、乳牛というものは、生殖とは関係なく、改良されていつでもミルクの出る牛、、、、、、、、、、、のことなのだと思っていたそうなのだが、それを思い出したのは、アメ玉会社のテレビCMに、白黒ブチのホルスタインの着ぐるみの牛がガクランを着た番長に扮し、俺のミルクは味が濃い、といった意味のことを言って凄むのを見たからであった。ホルスタインのオスは、普通去勢されて食用になるのだし、CMのガクランを着た番長牛は、母牛のミルクを飲んで育ったわけではないのだが、このコマーシャルの無邪気な人形アニメのような番長牛を見ていると、作ったスタッフたちも、また、メス・オスの区別なく改良された乳牛、、、、、、、を漠然と思っているのかもしれないと、疑念がわく。
 それはたとえば、新聞の俳句投稿欄に載っていた「乳牛のモンローウォーク天高し」という句について、選考委員が「乳牛をたたえ、マリリン・モンローをたたえる一句」と書いていたのを思い出させ、切り抜いておいた新聞記事を見つけるために、多少の時間を費やすことになったのだが(朝日俳壇’20年10月18日 長谷川櫂選)、この「天高し」というのが多分季語なのだろう句が、選者の評するように、乳牛とマリリン・モンローをたたえる句とは、とうてい思えない。なぜ、モンローと乳牛を並べる必要がある?
 かつて、男性誌と呼ばれていたメディアの中で、巨乳と呼ばれ、巨泉という俳号を芸名にしていた人物は、その「ハッパフミフミ」的才気の一環として、「巨乳」に「ボイン、ボイン」という表現を生み出した(とは言っても、苦しみはともなわず)のだったが、今日「モンローウォーク」という言葉を覚えている者にとっては、これは乳牛の大きく張り詰めた乳房を、尻を振る独特の歩き方と共に思いおこす句ではあっても、乳牛とモンローを一緒にたたえたとは到底思えない。いつもヨダレを垂らしているけれど、乳牛が美しくない動物だとは思わないが、こので連想するのは、巨泉の幼稚でやんちゃ、、、、な巨乳感に近い。
 ところで、茶色毛並のジャージイ種や、あるいはガンジー種の牛はまさしく輝しく美しい眼をしていることを、ケリー・ライカートは『ファースト・カウ』(’19)で見事に実証して見る者を感動させたのだったが、なぜか、この映画の、茶色の乳牛の顔がクローズアップで使われている表紙のパンフレットには、牛の美しい瞳の部分に丸い小さな穴が開けられているので、その無意味さにぎょっとしたのだった。

 私たちは、無知のままで、映画だけではなく、日々あらゆることを見落として生きているのだし、様々な事や物を忘れて、喉元をすぎれば忘れてしまう熱さと共に生きている。もちろん、その大部分は、実にささやかな取るに足りない瑣末な事にすぎないのだが、新聞のインタビュー記事を切り抜いておいたまま忘れていた。それが引き出しの底にクリアファイルごと張りついていたのが見つかって読んでみる。知らない顔の熟年男性(’60年生れのアニメーション監督)の写真が載っている二つのインタビューなのだが、切りぬいてファイルしたからには、いつか触れるつもりだったのだろう。
 長いほうのインタビュー(’21年8月28日朝日新聞「戦争モノ語り8」)は、戦時下の生活の中に存在していた「モノ」について、「緻密な取材に基づく時代考証で知られる映画『この世界の片隅に』の片渕須直監督」に「戦争を語る「モノ」たちの意義を聞いた」ものである。戦時下の生活を扱った映画を撮るからには、戦後に生まれた者は「緻密な取材に基づく時代考証」は必要不可欠であろう。片渕監督は’60年生れである。’60年といえば、三年前には群馬県下の米軍演習場で、アメリカ兵ジェラードが薬莢拾いの農婦を遊び半分のように射殺した事件があり、小学生だった私は物干し台から遠く望める榛名山でおきた占領地というか植民地の事件にショックを受けたものだったが、’60年には17歳の右翼少年に浅沼社会党委員長が刺殺され、’61年には風流夢譚事件がおきている。まだ戦中・戦後と戦中が色濃く残っていた時代で、なにしろ私の通っていた中学の校舎は、十六連隊の木造兵舎を少しばかり手直しして使用していた陰気な建物だったし、寺の鐘は金属供出のためになくなっていたし、城の濠の石と鉄の棒で出来ていたという柵には、鉄の棒の部分が長いこと欠けていたのだったが、それでも小学校の校庭に鉄棒や鉄のクサリで吊したブランコもあり、むろん、家々では五徳や鉄製の火箸といった火鉢に付き物の台所まわりの鉄製品、鉄びんや鉄鍋やフライパンも含めてを供出などせずに使っていたはずである。
 戦中の生活をきめ細かく描いた評価の高いアニメーション映画の監督は、インタビューに答えて、’44年公開の『一番美しく』(戦時下の増産に挺身する女子徴用員の共同生活を描いたもの)を見た経験を、驚くべきことを見た、、、、、、、、、といった調子で、「工場で働く女性たちが、金属供出があった時期でも、きちんとヘアピンをしているんですよ」と語っているのだが、あの小さな細い針金を折り曲げて作る安価なピン留め(戦後間もない頃、1本1円もしなかったはずで、私の子供の頃、高齢の女性たちは鬢留めと言っていたものだ)を供出したなどという話は聞いたことがない。ピン留めなど、瑣末な物にすぎないのだが、それと金属供出とは結びつきはしないということが、すぐにピンと来るのは、多分戦後も昭和20年代前半までに生まれた老人のことだろう。私たちの世代は親の世代に聞いて知っていることがあるのだが、それを知らない者にとって、瑣末な物に対する語り、、は、どこかで奇妙な具合にというか滑稽に形がゆがむらしいのだ。何かを見ることが出来ないせいで?
(つづく)

註1 本誌連載16回目「墓場とユリカゴ②」を参照。
 ここで私は、うろ覚えと言うより、単なる無知のせいで鮭のオスが受精後も生きている、、、、、、、、、とバクゼンと思い込んでいたという点では、石原慎太郎と同じ程度の恥ずべき無知なのだが、この回に書いた大江健三郎のメス鮭の産卵についての誤解(『政治少年死す(「セブンティーン」第二部)』の「排卵後の鮭のように身軽に、まっしぐらに行く!」)と比較すれば、おのずから、大江の間違いが勃起・射精中心主義とは違うセンスが光っていると言えるではないか!
註2 サラという名は聖書的には子どもを産めない女を指すという根深い圧力をサラという名の女性から聞いたことがあるのだが、この本の主人公の鮭はオスらしいと校正者からの教示あり。