葛飾北斎「冨嶽三十六景 甲州石班沢」(図1)は、青一色で描かれた浮世絵である。山梨県を流れる富士川に面した鰍沢という場所で、漁師が岩場に立って網を投じている。隣に腰かけているのは漁師の子どもだろうか。川の流れは激しく、岸辺では荒々しい波しぶきがあがる。遠方は靄に包まれ、富士山の稜線だけがかろうじて見えている。
漁師の衣服や岩場、波、川、富士山、空。一見したところ全て青色だが、よく見ると濃い藍色から薄い水色まで濃淡がそれぞれ異なり、たくさんの種類の青であふれている。そのため、画面は平板になることなく、奥行きのある幻想的な空間となっている。
北斎はなぜ青だけでこの絵を描いたのだろうか。それは、新しい青い絵具の登場が関係している。
それ以前の浮世絵では、青は露草や本藍といった植物由来の絵具を用いたが、空や海を表現するには鮮やかさが不十分であった。しかし18世紀初頭、プロイセン王国のベルリンで人工的な合成顔料であるプルシアンブルーが製造され、19世紀には日本に大量に輸入されるようになる。当時は「ベロ」、現在は「ベロ藍」と通称されている。
ベロ藍は透明感あふれる鮮やかな色であるため、空や海の美しさを表現するには格好の絵具であった。文政12年(1829)、溪斎英泉がベロ藍だけで山水の団扇絵を刊行すると、北斎は早速これを「冨嶽三十六景」に取り入れる。舶来の新しい絵具を使って、江戸っ子たちがあっと驚く鮮やかな青の景色を描こうとしたのである。
「冨嶽三十六景」は評判となり、浮世絵ではベロ藍の使用が当たり前となるが、北斎以上にベロ藍の使い方に長けていたのが歌川広重である。ベロ藍の傑作の一つが「名所江戸百景 猿わか町よるの景」(図2)だ。
場所は歌舞伎の芝居小屋が集まる猿若町。日がとっぷりと暮れ、夜空には満月が輝いている。芝居を観終わった観客たちが、月明かりに照らされながら帰路につこうとしている。
この夜空を鮮やかに彩るのがベロ藍である。地面付近はやや濃い藍色で、空に向かうにつれて色がぼかされて薄くなっていく。そして画面の上端には、幅1~2㎝ほどを濃く摺る「一文字ぼかし」が施されている。ベロ藍が水に溶けやすく、グラデーションを綺麗に表現できるという特性が最大限に生かされている。
また、夜空に縦の線が薄っすらと見えるが、これは版木の木目の跡。もちろんこの位置にくることは計算済みである。そして、満月は紙の地を活かして丸く摺り残しているのだが、この紙の白色がベロ藍の青さをいっそう引き立てている。
満月の光に照らされた夜空の輝きと広がりを見事に表現するベロ藍。華やかさや新しさと同時に、どこか懐かしさも感じさせる不思議な色である。