「綺麗な色の肌だねえ」
そう背中に声を掛けられたが、オレは無視した。
いきなりオレの肌の色に言及してくる奴にロクな奴はいない、というのがこれまでの経験上得たオレの中のスタンダードだったからだ。
が、のんびりとした声は続いた。
「夜明けの光がベルベット生地に当たってるみたいだね。いつも表面で光の粒がキラキラしてる」
ポエムかよ。
どんなツラでそんな頭のネジが緩んだような台詞をほざいているのかと振り向くと、同年代のアジア系の、えらいキレイな少年の顔があってびっくりした。いや、正確に言うと、そのまなざしのほうに驚いた。
純粋な興味と素直な賞賛。
そんな目で見られたことがなかったので、オレはどぎまぎしてしまった。
「誰だよ、てめえは」
この上なくぶっきらぼうな声になってしまったのを、「まずい」と思った。オレ、感じ悪い。まあ、今に始まったことではないが、残念ながらオレはこういうものいいしかできないのだ。
「あ、俺、HAL。YOROZU HAL」
そいつは慌てて名乗り、ニコッと笑った。
オレはほとんど狼狽していた。なんつう邪気のない笑顔を見せる奴なんだ。よっぽどおめでたい温室育ちなのか。
「ハッサン、だよね?」
オレの名前を知っているらしい。
「あのさ、ちょっといい? 今から、俺の言うとおりに動いてみてくれる?」
「は?」
いきなりなんなんだ、こいつはよ?
「円盤投げってあるじゃん。あれ、やってみてよ」
円盤投げ?
口に出したこともない単語に、あっけに取られた。
「やってみろって言われても、んなもん、見たこともやったこともねーぞ」
「こう円盤持って構えて、ひねりを加えて、ジャンプしてハーフターンで着地と同時に、地面の反発力を使って投げる」
HALと名乗った男は、おもむろにやってみせた。
ほう、と思った。
完璧に身体をコントロールできている。できるなこいつ、と思った。
「前からこれってバレエっぽいなって思ってたんだけど、ハッサンがこの動きをやって、繰り返しこの動きをアレンジして展開していけば、すごくカッコイイ踊りになると思うんだ」
そいつは、どうも。問題は、なんでオレがそんなことをしなきゃならんのか、というところだ。
そうオレの顔にはっきり書いてあったのか、そいつはオレの顔を真正面から覗き込み、東洋式に手を合わせて拝んだ。
「ハッサンならできるでしょ? ねっ、やってみせてよ。お願い」
おまえなんか、いいほうだよ。
HALと同室のJUNは、奴に文句を言いに行くと、疲れたような顔でオレにそう言う。
考えてもみろ、俺はヤツと同室だぞ? 夜も朝も一緒なんだぞ。どんだけ実験台になってると思う?
それには、ちょっとだけ同情した。
奴はいつも突然やってきて、当然のようにあれやれ、これやれ、というのだ。
ハッサンならできるでしょ。
あの殺し文句。どんだけあの殺し文句に、文字通り「踊らされて」きたことか。
だが、正直言うと、最初に奴の言うとおり動いてみて、その動きが「おっ」と妙にしっくりきたのは事実だ。こいつはオレの身体能力や動きをすごくよく観察している。まさに、オレという絵の具で絵を描こうとしている。そう直感した。
それに、奴の中には、どういうわけか、オレに対するゆるぎない信頼みたいなものがあった。
ハッサンならできるでしょ。
あの台詞は、挑発でもあったが、確信でもあった。オレならできる。そう心の底から信じていて、「既成事実」だと思っている節があり、それにオレが引っ張られていた。
あんなふうにオレを信じてくれていたのは、カミーユとイヴォンヌ以外には奴だけだ。
最初に感じたのは、強い視線だった。
じっと街角に立って、仁王立ちでこっちを見ている、白っぽいプラチナブロンドの髪を結い上げた、背の高い白人の女だった。けっこうトシは喰っているっぽい。
ストリートサッカー仲間も、女に気付いた。
なんだ、あいつ? こないだもいたよな?
いつも俺たちガン見してる。キモいな。
人さらいだったりして。
それは、まんざら冗談でもなかった。オレのいた界隈では、しばしば子供が消えた。臓器売買のドナーとして売られたとか、小児性愛者に子供を斡旋するグループに売られたとか、そんな噂が絶えなかった。
女は至ってまじめそうで、どちらかといえば役所の職員とかソーシャルワーカーとかに見えたが、人は見かけによらないものだ。オレたちは警戒を怠らないことにした。
数日後には、女はもう一人増えた。こちらは先に来ていた女よりは小柄で、黒い髪を短く切っていた。どことなく、先に来ていた女と似ているような気がした。きょうだいかな、と思った。
二人になって、視線も二倍。すると、なんだか二人はオレを見ているような気がしてきた。二人の視線の交わるところが、どうみてもオレだ。ガン見しては、二人してボソボソと何事か話し合っている。
人身売買のターゲットはオレなのか?
じわじわと不安になる。こんな、腕と膝下ばっか長い、ひょろっとした痩せっぽちのオレより、がっちりして丈夫そうな、レミとかリュカとかのほうがいいと思うぞ。
そう内心声を掛けたが、やがて姿を見なくなったので、そのまま忘れてしまった。
ところが、それからしばらくして、一人でマルセルの使いに行った帰り、オレがヤサへの近道の路地に入ったところに、二人が道を塞ぐように並んで立っていたのにはびっくりした。
「うわ、なんだおまえら」
思わず足を止めると、二人は交互に口を開いた。
「ねえ、ちょっと顔貸してくれない?」
「後でアイスクリーム買ったげるから」
あまりにも古典的な誘拐犯の台詞に、オレは「やっぱり人さらいだったのか」と呟いていた(が、実はアイスクリームにはぐらっと来た。この頃、オレはいつも腹を空かせていたからだ)。
「オレみたいな痩せっぽち、喰ってもうまくないぞ。もうちょっとがっちりした奴にしろよ」
退路を検討しつつ、後退りしながらそう言うと、二人は顔を見合わせてケラケラ笑った。
「こっちは、あんたのその細い足と腕に用があるのよ」
「その手足は父親似? 母親似? 両親は太ってる? 痩せてる? 身長は?」
いきなり個人的なことを聞いてきたので、オレは首をかしげた。
「分からん。どっちも顔知らないし」
二人は再び顔を見合わせた。
「あんた、誰と暮らしてるの?」
黒髪のほうが尋ねる。
「たぶん、伯父さん、かなあ」
「なにそれ、たぶんって」
「あと、伯父さんの女とか、ダチとか、じいさんとか、いとことか、いろいろ」
二人は絶句した。
「思ったよりも複雑そうだわね」
「そこはまた後で考えましょう。さ、行くわよ」
低くそう呟くと、いきなり先に立って歩き出す。オレが当然ついてくるといわんばかりの様子に、一瞬ためらったが、いつのまにかその背中を追っていた。
馬鹿じゃねえの? こいつらが人さらいじゃないとどうして分かる?
が、そうではない、と直感していた。何をどうしてだか分からないが、この二人は、オレの何かを信じている。
(第二話 後編へ続く)
第二話 夜明けの光(前編)
spring another season
2024年3月の発売直後から大注目・恩田陸のバレエ小説『spring』、待望のスピンオフ連載がスタート! 本編では描ききれなかった秘められし舞台裏に加えて、個性弾けるキャラクターたちの気になるその後も明かされる予定です。表現者たちの切ないほどに尊い一瞬をぜひ最後まで見届けてください。第二話の主人公は驚異的な身体能力が武器のダンサー、ハートは繊細なハッサン・サニエです。まずは前編から!