昨年の夏、劇作家の根本宗子さんから「お話があります」と何とも不気味な連絡をいただいた。今まで生きてきた中で「お話」が良い話だったことはほとんどない。臆病な私は完全に重心を後ろに置きながら会いに行った。が、「お話」を持って現れた根本さんは予想に反して笑顔、聞くと演劇のお誘いであった。
ほっとしたのも束の間、「演劇……」と次は不安が襲ってきた。日頃舞台に立っているとはいえ、自分の口馴染みの良い言葉をセンターマイクの前で吐いてきただけの人生であり、芝居の経験は皆無である。しかし、以前から根本作品のファンであった私は、気がつくと「やらせてください」と即答していた。今回を逃したらいつこんな機会があるかわからない。迷惑をかけるかもしれないが、新しいことにチャレンジするワクワクが勝った。
ということで今年、15周年を迎える根本さんの記念公演にコンビ揃って参加させてもらうことになった。
8月に入り、不慣れながらもなんとか稽古に励んでいるのだが、とにかく苦戦する場面が多い。まずは、飛び交う舞台用語を聞いて知ったかぶりをするところから始まった。
セリフの本読みのスケジュールが送られてきた際、注釈に「稽古履き持参でお願いします」と書かれていた。稽古履き? なんだ、稽古履きとは。小学校の時の上履きのようなもの? 立ち稽古はまだなのに? ということは、稽古場を汚さないためのスリッパ? 早速パニックになりスマホで「稽古履き」と検索してみたが、バレエシューズやら雪駄やらが出てきてしまい、明らかにネットも理解していないようだった。私は一か八か、ホームセンターで室内履きのスリッパを買って初日に挑んだ。すると、他の出演者の方は室内用のスニーカーを持参していた。どうやら本読み期間中でも、さらっと立ち稽古に移行することもあるらしい。私は他の人に見つからないよう、出しかけたスリッパを静かにカバンの奥にしまった。
他の共演者が根本さんに「盗んで言ってください」と言われているのを聞いた時も焦った。盗む? 咄嗟に頭に浮かべてしまった唐草模様の風呂敷を慌てて畳み、私はその人の芝居に集中した。すると、さっきよりも少し早い喋り出しになっている。ということはおそらく、「間を詰める」とかそういうのに近いものか? 自分が言われたときに試してみよう。そう思って今か今かと待っていたが、一向にそのチャンスは来ない。盗みはスキルのある人にしかできないものなのかもしれない。
「立てる」も難しい。「そこの言葉を立ててもらって、」と言われ、私は該当箇所を強調して読んでみた。すると「ボリュームは大きくしなくて大丈夫ですよ」と優しく諭された。どうやら私は「立てた」のではなく「喚いた」だけであったらしい。
その後も「衣装パレード(衣装を一通り着て確認していく作業)」、「マチソワ(マチネとソワレ、つまり一日2公演)」と、未知の言葉をどんどん浴びていく。過敏になりすぎているせいか、休憩中に横から「ヴィド」と聞こえたときに「また未知の言葉! ヴィド!?!」と過剰反応してしまったが、スタッフさんが立ち寄ったパン屋を発表していただけだった。ややこしいので、パンは笑ってほしい。この「笑う」ももちろん、「物をどかす」という意味の舞台用語だ。
そうしてなかなか悪戦苦闘しているが、隣を見れば相方が同じようにヒーヒー言っているので安心する。同時に、「パレードって何ですか?」と即座に聞き返して最速で答えを得ていて、素直であることの尊さも考える毎日である。