本屋をしていた1982年ごろ『ぼくは本屋のおやじさん』の表紙絵を描いてもらうため、藤原マキさんとお会いした。編集の方が一緒だったかもしれない。店の2階で打ち合わせをした。「マキさんが本屋をやったらどんな感じになるか想像して描いていただけると嬉しいのですが」とお願いした。
出来上がった作品は素晴らしかった。硝子戸に「本」と書かれてある小さな本屋だ。店の奥には、おかっぱ頭の少女が座っている。幼い頃のマキさんだろう。
「本屋さんの前を通るたび、私はよく思ったものです。『ここの子どもになれたらいいナー』」と『私の絵日記』(以下、「本書」)にエッセイ(222頁)で語っている。
お膳には食べ残しの魚の骨がある。猫が狙ってる。伸ばした手と目が可愛い。それをおかっぱの僕らしき人物が微笑みながら眺めてる。
タンスは金具の取っ手、カーペットの柄、柱時計、丸椅子、ゴミ箱、水差し、コンセント、雨よけのひさし。日常が隅々まで描かれている。懐かしい風景、普通の暮らしがある。
すっかり気に入ってしまったので、今度は書店で使用する包装紙と栞の絵を描いてもらった。ブックカバーは、木造校舎の教室、ダルマストーブ、学級日誌、居眠りしている少女。外は雪が降っている。本書216頁の絵だ。
袋は、炬燵に入ってお裁縫をしながら眠ってしまった少女、お盆には処方された風邪薬、外には便所の手洗い器とタオルがぶら下がっている。236頁の絵だ。
栞は猫の置物、市松人形、柱時計など5点描いてもらった(『ぼくは本屋のおやじさん』233頁)。
『私の絵日記』は「一月四日 くもりのち雨 晩ごはんのあとオトウサンとケンカした」から始まって、「十二月二十四日 快晴(中略)二人で笑い合った」までが綴られている。
途中、つげさんが不安神経症になって寝込んでしまったり、マキさんもおろおろして、うちの中がくらくなり、たいへんな日常もあるのだが、正助くんの成長が家族に小さな幸せを運んでくれている。
この本には、竹かごに入ってるバナナ、ジューサー、掘り出しもののカメラ、電球のかさ、カレンダー、唐紙のやぶれまでが描かれている。「神は細部に宿る」だ。本棚には『川崎長太郎』と『宇野浩二全集』があった。
四月十九日
正助の血液型の結果を聞きに行った帰り、久しぶりにレストランへ入った。
「本当はずっと心配だったんだ。これで安心した」とオトウサンが神妙に云ったのでふき出してしまった。正助が自分と同じA型だったからだが……。
不安神経症というのは何でも心配して、とめどなく不安が襲ってくる。この日記を読んで、つげ義春さんの漫画〈別離〉を思い出した。
「何回やったんだよ」「分んない」「分んないくらいやったのか」という作品だ。嫉妬はユーモアさえ感じる。浮気を想像するシーンはこれでもかというくらいエロチックだ。
本書の最後、つげさんは「妻、藤原マキのこと」の中でこう語っている。「わりといざこざの多い仲ではありましたけれど(中略)それなりに濃密だったのではないか」「だから先立たれてからは、僕はひどい喪失感、虚脱感を覚え、もう何をする気力もなくしてしまった」(276〜277頁)とある。
あらためてカバーイラストを見る。一枚の絵なのに物語が見えてくる。マキさんがどのくらいふたりを支えていたのかがわかる。受賞はマキさんの愛に捧げられたのだと思う。