はじめに
タイトルに含まれる「最新のスポーツ科学」と聞くと、最先端のトレーニング機器を用いた「魔法のトレーニング」をイメージされるかもしれません。また、「最新のスポーツ科学」はオリンピックを目指す一部のスポーツ選手に関係するもので、部活動には活用できないと思われるかもしれません。しかし、「最新のスポーツ科学」とは「魔法のトレーニング」ではありません。また、一部の方々にのみ役立つものでもなく、子どもから大人まで、スポーツに取り組むあらゆる方々に応用できる身近なものです。
私自身、子どもの頃から多くのスポーツに取り組んできました。その中で、腕立て伏せ、懸垂、馬跳び、シャトルラン、長距離走、筋力トレーニング、ロープ登りなど様々なトレーニングを経験しました。朝練、2部練習、合宿、寒稽古も経験しました。また、身体を大きくしようとお茶碗に山盛りのご飯を食べ、筋力トレーニングの後にはプロテインを飲むなど、自己流で工夫をしてきました。ただ、当時は、効果的なトレーニング方法、食事や休息の取り方などの指導を受ける機会はありませんでした。今のようにスマートフォンで情報を得ることもできませんでしたので、図書館に行き、関連する本を何冊も借りて自己流で勉強したことをよく覚えています。それから、時は流れ時代は変わりましたが、私が子どもの頃(昭和・平成)に取り組んでいたトレーニングや食事の取り方と現在(令和)のスポーツ選手が取り組んでいる内容には、それほど大きな違いはないと感じます。
その一方、スポーツ科学の研究はめざましい発展を遂げました。「乳酸はエネルギー源である」「軽い重さでゆっくりと筋力トレーニングを行うと筋肉量が増える」「運動後には食欲が低下するが、身体を冷却すると食欲が回復する」「鉄は朝に摂取した方が良い」「運動をすると筋肉から身体に良い物質が放出される」……これらはすべてスポーツ科学の研究によって明らかになった新事実です。けれども、次々と発見された新事実は、グラウンドや体育館で日々行われる練習やトレーニングにすべては反映されていないようです。現に、「研究とスポーツ現場のギャップ」という言葉を今でも耳にします。なぜでしょうか?
私は大学(スポーツ健康科学部)で「トレーニング科学」という授業を担当しています。毎年200名を超える受講生が大教室に集まり、集中して熱心にメモを取りながら授業を受けてくれています。授業の最後には毎回、コメントシートを提出してもらうのですが、「授業が面白かった」「新しい情報にワクワクした」というコメントに加えて、「この(授業の)内容を高校生の頃に知りたかった」「この内容を知っていれば、もっと強くなれたかもしれない、怪我を防げたかもしれない」という多くのコメントを目にしています。また最近では、「現役当時、休息の大切さを学ぶことができていればもう少し良い選手になれたかもしれない。自分は当時に戻れないが、学んだことを後輩や自分と同じ悩みをもっている人に話をしたい」といった、思わず言葉を失うコメントもありました。スポーツに取り組む学生、指導者、そして、子ども達を間近で見守る親……私達が知りたいのは「勝つにはどうすれば良いのか?」ではなく、「怪我を防ぎ、ココロもカラダも元気な状態で強くなるにはどうすれば良いのか?」という点でしょう。スポーツ科学の世界で生きる研究者の一人として、「大学で教えてきたスポーツ科学を世の中に広く発信しなければいけない」「研究から明らかになった事実は、悩みを抱えるスポーツ選手や指導者に役立つはずだ」という想いが年々強くなりました。これらが本書(『最新のスポーツ科学で強くなる!』)を執筆しようと思った理由です。
この本では、「トレーニング編」「リカバリー・コンディショニング編」「栄養補給編」の3つにわけて「最新のスポーツ科学」から得られた情報を解説しています。「トレーニング」や「栄養」のみの内容にしなかったのは、「トレーニング」「栄養」「コンディショニング(休息)」は独立したものではなく、お互いに関連をしているからです。どれだけ合理的な素晴らしいトレーニングを行っていても、栄養や休息に注意を払っていなければ、大きな効果を期待できません。また、この本の内容は「私の主観(感覚)」ではなく、スポーツ科学における信頼性の高い200以上の研究論文に基づいています。これらをできる限りわかりやすく、図やイラストを使いながら第1講〜第30講としてまとめました。
第1講から順に読み進める形でも、ご自身の興味のあるトピックから読み始める形でも問題ありません。「最新のスポーツ科学」を楽しみ、そして驚きながら、この本を通して得た情報を日々のスポーツ活動や指導にご活用いただければ、これほど嬉しいことはありません。
それでは、「最新のスポーツ科学の扉」を開けてみましょう!
第1講 筋トレは重いバーベルで行った方が良い?
筋力トレーニング(レジスタンストレーニング)は、スポーツの競技力向上のために幅広く活用されています。読者の皆さんの中でも、筋力トレーニングを実施されている方はいらっしゃるでしょう。また、インターネットで検索をすると、多種多様なトレーニング方法に関する情報を入手することができます。しかし、これら数多くの情報の中で、「結局、どの方法を使えば良いのか?」と疑問に感じる方も多いと想像します。
筋力トレーニングの実施方法は、「最大筋力を増やす方法」と「筋肉量を増やす方法」の2つに区別されます。最大筋力とは「発揮できる最大の力の大きさ」を示します。学校の体力テストにおいて、握力や背筋力を計測しますが、これらの測定では「最大筋力」を評価しています。最大筋力を高めることは、スポーツで力強いプレーを実現する上でも大切です。一方、筋肉量は「筋肉のサイズ」を示します。病院にあるMRI(磁気共鳴画像装置)や超音波診断装置を使用すると、筋肉の断面積(筋肉を輪切りにした時の面積)や筋肉の厚さを評価することが可能です(写真1)。私が勤務する立命館大学スポーツ健康科学部においても、これらの装置を用いてスポーツ選手や高齢者の筋肉量を測定しています。
最大筋力を増やす筋力トレーニングの方法は「最大筋力型」、筋肉量を増やす筋力トレーニングの方法は「筋肥大型」と呼ばれます。最大筋力型の筋力トレーニングの特徴は、「重い重量で、少ない回数の反復を行う」ことです。具体的には、1回のみ挙上できる最大重量(最大挙上重量)の85〜100%程度の重量(1〜6回程度の反復が可能)での運動を1セットとして、セット間に3分程度の休息を挟んで3セット程度繰り返します。これに対して、筋肥大型による方法では、最大挙上重量の70〜80%程度の重量(8〜12回程度の反復が可能)での運動を1セットとして、セット間に0〜2分程度の短い休息を挟んで3セット程度繰り返します。筋肥大型による方法では、最大筋力型による方法と比較して、やや軽い重量を使う点がポイントです(表1)。そして、筋肥大型による筋力トレーニングを週に2〜3日・2ヶ月程度継続すると、腕や脚の筋肉量が増加します。また、それに伴い、最大筋力も増加します。「筋肉量を増加させるには、重い重量を使った方が良いのではないか?」と感じるかもしれませんが、必ずしもその通りではありません。これが「トレーニング科学」の面白い所です。
筋肥大型による筋力トレーニングでは、毎回のトレーニング終了時には脚や腕の筋肉が「パンパンに張った状態」となります。「筋肉が増えた!」と喜ぶ方もいますが、これは一時的な筋肉の張りであり、その正体は筋肉内に溜まった水分量の増加です(残念ながら、1回の筋力トレーニングで筋肉量は増えません)。一方、この際、筋肉の中では重要な反応が起こっています。それは、「乳酸の発生」です。乳酸は「疲労を引き起こす悪者」と長年考えられてきましたが、スポーツ科学の研究によって必ずしも「悪者」ではないことが明らかになりました。たとえば、筋肥大型の筋力トレーニング時に筋肉に乳酸が溜まるとその信号が筋肉から脳に伝わり、脳から成長ホルモンが放出されるのです。成長ホルモンは、筋肉の成長を促してくれる重要な役割をもっています。このように、最大挙上重量の70〜80%程度の重量(8〜12回程度の反復が可能)を用いて、セット間の休息を短く(0〜2分程度)する「筋肥大型による筋力トレーニング」は、筋肉での乳酸の蓄積を促し、成長ホルモンの増加にきわめて有効です。逆に、セット間の休息が長い(3分以上)場合には、休息中に筋肉内の乳酸が除去されてしまいますので、脳から放出される成長ホルモンの量が激減します(図1―1)。セット間の僅か数分の休息の違いで、身体の中では全く異なる反応が起きています。筋力トレーニングをされている方は、ぜひ「セット間の休息時間」にも気を配り、「乳酸の力」を借りながら、上手に成長ホルモンを増加させるようにしてください。ちなみに、成長ホルモンには「コラーゲンの合成を増やす」「脂肪を分解する」という役割もあり、怪我の予防や健康増進の点からも大切です。
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